メソポタミア文明(紀元前3500年~紀元前500年)を築いたのがシュメール文明。
当時都市国家が乱立していたが、メソポタミア文明はその総称。
ざっくり前半をシュメール王国、後半をバビロン王国(紀元前1700年ころ)の時代と分けることができる。
その間に騎馬民族によるアッカド王国(紀元前2300年ころ)が200年ほど存在していた。
シュメール文明はアッカド王国に滅ぼされ、アッカド王国はバビロン王国に滅ぼされた。
しかし、シュメールとアッカド、バビロンは、シュメールの神話を尊重し、そのまま大事に引き継いでいることから、シュメール文明とはもともとは友好関係にあったのではないかとされる。
シュメール文明の最初の謎は、シュメール人がどこから来て、どこへ去っていったのかが全く分からないこと。
メソポタミア文明は、紀元前3500年(ウルク期)から始まった。
その前には、農耕をしていたウバイド人たちが住んでいた。
そこへ突然、シュメール人が現れ、現地の人に文学、美術、政治、医療、法律、建築、天文学といった、たくさんの技術・知識を教えていった。
そして、アッカド王国の支配下になったあと、突然と歴史上から姿を消す。
メソポタミア文明では、楔形文字が使われていた。
シュメール人たちの言語形態は膠着語(膠着語)であった。
膠着語とは、例えば、わたしはあなたが好きです。という文があったとき、わたし・あなた・好き、と言う単語を、は・が、といった助詞でつなげていく言葉の形態のこと。
膠着語はめずらしい言語形態で、シュメール人以外に膠着語を使っている民族はいなかった。
使っている言葉の特殊性から考えても、シュメール人だけがメソポタミア地域に突然現れた民族のようにも見える。
シュメール人の知識の高さも謎の一つに挙げられる
1か月28日、1年13か月という太陰暦はシュメール人が作った。
1日24時間、1時間60分、1分60秒という60進法は、この時にできた。
1週間が7日という七曜制を作った。
星の動きを読むのに長けていて、高度な天文学を持っており、占星術が発達していた。
金属製造という金を製造する技術がすでにあり、シュメールは金が豊富であった。
当時はビールをストローで飲んでいたことが石板に書かれているが、金のストローもあったという。
ビールは、麦を乾燥させて、粉々にして、焼いてパンにして、それを砕いて水を加えて発酵させて作った。
それをストローで飲んでいたという。
エジプトの壁画にもビールを飲んでいる様子が描かれているが、シュメールからビールの技術が伝わったのではないかと言われている。
紀元前1800年ごろ、バビロン第1王朝のハンムラビ王は、ハンムラビ法典を作った。
そのもととなったウル・ナンム法典は、シュメール人が作った。
投票で選ばれた人が発言権を持つ民主制、陪審員制度が行われていた。
どうやって国家を発展させていくかも、ルールや法律のもとにリーダーが管理・計画していた。
シュメール人は、治水と灌漑工事が優れていた。
チグリス・ユーフラテス川の治水工事は行政によって計画的に管理されていた。
ちゃんと飲み水と排水用が分かれていた。
学校もあり、卒論もあった。
就活もあった。
失業保険もあった。
植物性の薬は250種類以上、動物の薬は180種類以上、鉱物からの薬は120種類以上あった。
白内障の手術がすでに行われていた。
冥王星は1900年代に見つかった天体であるが、シュメールの人たちは冥王星をすでに認知していたらしい。
冥王星の特徴まで把握していたようである。
ゼカリア・シッチンによると、惑星ニビルが地球に衝突し、地球は今の軌道に移動し、その時の破片が月になったと石板に書かれているという。
似たような考え方にジャイアントインパクト説があるが、通説になりつつある考え方である。
地球は何万年もかけて地軸をコマのように回りながら自転しているが、1周するのに25920年かかると言われている。
この歳差運動も石板に書かれている。
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