あなたは根源なる一つの魂から分離しました。
分離はあなたに欠乏感を感じさせます。
常に何かが足りないという思いから、不安感を感じさせます。
こうして、不安感との永遠なる付き合いが始まりました。
不安だと何かから自分を守らなければならないという思いが生まれます。
自分だけでなく、家族を、財産を、これまで育ててきたものを守らなければならないと思います。
守るとは、孤立するということです。
自分をガードするとは、自分ひとりきりになるということです。
自分を守ろうとする思いはあなたをさらなる分離へと導きます。
そして、防衛本能は強化され続けます。
「自分を守る」と決めた瞬間、あなたはその守るべき相手である敵を生み出します。
あなたの五感を通じて入ってくる情報は、全て自分にとって安全かどうか判断され、振り分けられます。
これが人間の自我の作用です。
自分にとって都合のいい情報を取り入れ、都合の悪いことを言う人を排除します。
あなたの正義感が生み出した心の葛藤を何とかしようと、道徳や規律というルールを作り、他人が枠からはみ出さないようにコントロールしようとします。
(注:正義感も道徳も規律も、自我が作り出した幻想です)
今あなたのまわりにある全ては、不安を基礎として作り上げられていることをしっかり自覚しなければなりません。
自分は有限であるという立場から構築されているものが自我です。
人は無限なる源へと帰り始めています。
分離から統合へと、その流れを変え始めました。
この三次元世界は有限であるため、進み続ければいつかは行き止まりになり、反転します。
有限であるという立場から、無限であるという立場へとシフトし始めています。
無限であるとは、全ての現実は自分が生み出しているということを認める立場です。
意地の悪い人がいれば、その人はあなたが作り出しました。
この立場にたつと、全てはあなたの責任であるということになります。
すなわちあなたはもはや被害者となることはあり得ません。
あなたが全ての責任者なのですから…
この立場に立てばもはや加害者になることもあり得ません。
あなたは全てなのですから…
人は有限の立場に立ったとき、責任を外に押し付けます。
不都合さの原因は自分の外にあると思うからです。
無限の立場にたつと、「~のせい」と外に原因を探すのではなく、自分の内面に「どうして」と問いかけはじめます。
この疑問に呼応して、その答えのヒントとして、新たな現実が創造され始めます。
こうして、次々と自我に気づく場面に出くわすようになっていきます。
私は難しいことをあなたに要求しているわけではありません。
無限を選ぶのか、このまま有限を選ぶのか。
選択の問題です。
これまで一貫して有限者の立場を選択し続けてきた現実があなたのまわりに現前しています。
今のままでよろしければ、そのまま有限者であり続ける権利があなたにはあります。
あなたは無限者なのですから。
ただ、有限者の立場だと思考が制限されます。
その立場にあるのだったらこうするべき、という思考です。
母親だったら母親としての思考が、教員だったら先生としての思考が、仏教徒やキリスト教徒だったら仏教徒やキリスト教徒としての思考が開始されます。
無限の立場に立つと、創造主としての思考が開始されます。
無限の立場を選択すると思考がシフトします。
創造主としての思考が始まります。
「創造する者」へのシフトです。
他人は全てあなたを進化へと導く協力者以外の何物でもなくなります。
敵がいなくなるのです。
すなわち無敵となります。
もう誰からも自分を守る必要がなくなります。
あなたの敵は唯一、あなただけとなります。
もう人を変えなくても済むのです。
自分の意識を変えるだけでいいのです。