「巨石文化は海洋民族によって世界中に伝播した。」と、ハーバード大学教授で米国碑文学会所長の故バリー・フェル博士は言った。
エンシェントワンワールド、古代の世界は一つの文明だった。
超古代の地球には巨石文化が存在した。
その巨石文化を、ある海洋民族が生み出した。
その海洋民族が世界中を航海して、巨石文化を世界中に広めた。
その海洋民族は「ラピュタ人」。
海洋民族ラピュタ人が作ったラピュタ土器などは、学説的にも認められているものである。
ラピュタというと、映画の天空の城ラピュタを連想するが、映画の中にもペトログリフや海洋民族の動きを思わせるシーンが存在する。
世界最古の遠洋航海を達成した「ラピタ人」。
今から3600年前にメラネシア(オーストラリアの上のあたり)に存在していた。
1952年、ニューカレドニアで発見された土器が、「ラピタ土器」と命名されたことから、この文化が「ラピタ文化」と呼ばれるようになった。
ラピタ土器は、縄文土器の曽畑式土器に似ている。
ラピタ土器は3600年前にできたとされる。
ところが、今から2800年前に突然作られなくなる。
言い変えると、2800年前にラピタ人は突然いなくなった。
なので、今でも謎の海洋民族として研究が続けられている。
バリー・フェル教授は、元々ハーバード大学の生物学の先生で、海洋生物学者として活躍していた。
ある時、ケルトの巨石文化に触れたことから、碑銘学や古代の碑文の解読に注力するようになった。
研究の成果として、エンシェントワンワールド、世界中を移動できた海洋民族がいて、その海洋民族を介して一定の文化が広まっていったという説が生まれた。
特に、巨石文化は海洋民族によって世界中に広められた。
エジプトのピラミッド、イギリスのストーンヘンジ、イースター島のモアイ像などなど。
およそ7000年前から5000年前から現れ始めたこれら巨石文化は、世界中でたまたま同時多発的に起こったものではなく、海洋民族たちが自分たちの持つ文化を世界中に広めていったものであった。
ピラミッドなどがどのようにして作られたのかは、もちろん不明。
ただ、巨石と共に刻まれている文字、ペトログリフの痕跡に着目していくと、そこに介在している民族が浮かび上がってくる。
武内一忠先生は、バリー・フェル教授の研究をもとにして、さらに世界や日本中にあるペトログリフを調査した。
10000年以上前の超古代世界に、ラピタ人の元となる海洋民族、ラピュタ人が存在し、海を縦横無尽に移動して巨石文化は広まったと、竹内先生は考えた。
世界最古の木造船は、4500年前のエジプト・クフ王の船「太陽の船」と言われている。
これは木を組み立てて作られた船。
丸太一本をくりぬいて作った船であれば、さらに古い船が日本にも存在する。
島根大学構内遺跡からは、その板材と思われる木材が発見されている。
さらに、中国では、8000年前のものと思われる丸木舟が出ている。
さらに、静岡県沼津市にある愛鷹山(あしたかやま)から大量に発見された黒曜石の原産地を調査したところ、伊豆の神津島(こうづしま)で採掘されていたことが分かり、それは38000年前の旧石器時代初頭の年代まで遡ることが判明している。
これは、人類史上最古の往復航海の証拠となる。
このように、海洋民族のような人たちは、相当昔から存在していたことがわかる。
ちなみに、アシタカは古代出雲族の末裔であるが、神津島には出雲の王「大国主」の息子である「事代主」がやって来たという伝説が残されている。
水の分配の会議を神津島で行っていたという。
出雲に関わりのある、あしたか山と神津島とで黒曜石の交易が行われていたことは興味深い。
丸木船が最も多用されていたのが、メラネシア、ミクロネシア、ポリネシアといった南太平洋地域。
この地域では、丸木船を進化させてアウトリガーカヌーを使用していた。
丸木船の片脇か両脇に浮きをつけて、船を安定させていた。
このアウトリガーカヌーに麻で帆を立てた。
アウトリガー帆船を世界で初めて作ったのが、マオリ族をはじめとするポリネシア人だと言われている。
イースター島からハワイ諸島までを自由に行き来する技術を持っていた。
さらに、ポリネシア航法、スターナビゲーションと呼ばれる特殊な公開技術を持っていた。
天体、潮流、風の観測をすることで、現在地や方向を割り出すことができた。
この技術によって、南太平洋地域の人たちは、極めて広大な海域に点在する島々を行き来し、必要物資の交換などを行いながら生活をすることができていた。
彼らにとって、星や風はかなり重要な要素であり、神聖視されていた。
これが星神信仰につながっていく。
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