ペトラ遺跡は、2007年に新世界七不思議に選ばれている。
①万里の長城
②イタリアのコロッセオ
③チチェン・イツァのピラミッド(メキシコ)
④ペルーのマチュピチュ
⑤インドのタージマハル
⑥コルコバードのキリスト像(ブラジル)
⑦ヨルダンのペトラ遺跡
ペトラ遺跡は、その建物から歴史に至るまで非常に謎に満ちた遺跡である。
ペトラ遺跡は、中東ヨルダンにある古代遺跡。
高度な文明を持った古代の人々が築き上げた。
都市部に行くには「シーク」と呼ばれる曲がりくねった渓谷の間を1㎞ほど進む必要がある。
この渓谷は自然にできたもので、高さは91~182mにも及ぶ。
シークを抜けると、インディージョーンズ3のロケ地で使われた「エル・カズネ」(高さ約40m、幅約25m)へとたどり着く。
この建築物は岩山を直接掘って作られた。
この岩山が夕日を浴びると赤くなることから、ペトラ遺跡は「バラ色の都市」とも呼ばれている。
エル・カズネには、宝物庫という意味があるので、宝物子として用いられていた可能性が高い。
エル・カズネを抜けると、ローマ式の円形競技場や、居住スペース、数々の神殿や寺院、そして、王たちの墓とされる遺跡がある。
この都心部だけでも東京ドーム128個分もの広さになる。
ペトラ遺跡は岩と砂漠に囲まれた土地にある。
そこから8㎞ほど離れた場所から水を引いてくる技術を持っていた。
「シーク」の両端に水路があった跡がはっきりと残されている。
これを通じてペトラの都市全体に水が引かれていた。
さらに、ペトラ遺跡には地下にまで水路が張り巡らされていて、
約20万人いたとされる住民の生活を支えていた。
つまり、古代都市ペトラは砂漠の中のオアシスだった。
一般的には、当時の人々が全てハンマーやノミといった道具だけで掘ってペトラ遺跡を造ったと言われているが、それにしてはあまりにも建築物・施設が巨大であるため、ペトラの人々は、当時の水準を超えた高度なテクノロジーを持っていたのではないかと言われる。
ペトラ遺跡は、1958年から本格的な発掘調査が進められているにも関わらず、その全貌は明らかになっていない。
今でも、全体の15%ほどしか発掘されていない。
今後調査が進んで新たな発見が見つかることが期待される。
ペトラ遺跡のあった場所は、ナバテア王国として栄えていた。
ナバテア人たちは、元々は現地の遊牧民だったが、紀元前3世紀から徐々にナバテア王国を築いていった。
かなりの技術を持っていたにも関わらず、彼らの文化や歴史に関して書かれたものは、古代ギリシアのような周辺の国の文献以外には何も残っていない。
ナバテア人は独自の文字を持ち、識字率も高く、かなり発達した民族である。
彼らは独自の神をあがめていたにも関わらず、多文化を受け入れやすい民族であったため、異教であるエジプトの女神「イシス」の像の装飾を好んで残している。
経済面では、エジプト、ギリシャ、ローマといった文明が発展した地域と交わる中継地点に首都ペトラを置いていたため、周辺諸国の商人たちが通過する際に税金をかけて、ナバテア王国はどんどん豊かになっていった。
経済的に豊かで宗教面でも争うことなく高度な知識と技術を持っていたナバテア人が自分たちの文化や歴史について文献には何ものこさなかったというのも一つの謎である。
ナバテアは106年にローマ軍からの侵略を受けて衰退を迎える。
ローマに占領された後も、ナバテア人はささやかに暮らし続けたが、
紀元363年、ガリラヤ地震により甚大な被害が出た。
これにより水を引くことができなくなったため干ばつに苦しむことになる。
5世紀ころに起こったとされる大洪水、
8世紀半ばの2度目の大地震により、
ナバテア人の繁栄を支え続けた古代都市ペトラは滅んでしまった。
その後、1812年に、スイスの探検隊がこの地を発見するまで1300年以上もの間、ペトラ遺跡は人々から忘れ去られることとなる。
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