1985年8月12日18時12分、日航123便は 、乗客乗員524名を乗せ、定刻より12分遅れて羽田空港を離陸した。
機長は海上自衛隊出身の高濱雅己49歳、ベテランのパイロットであった。
この時は、佐々木副操縦士の機長昇格の見極めを行うため、副操縦士席に教官として乗務していた。
その日、相模湾では新たに建造された護衛艦まつゆきの機能点検が、自衛隊によって行われていた。
まつゆきには、訓練用のミサイルとして 国産の対空ミサイルが、装填されていた。
このミサイルは試験用だったので、炸薬は搭載されていなかった。
ファントムがオレンジ色の標的機を曳行した。
ミサイルの試射が行われていたとき、あり得ないことが起きた。
ファントムパイロット:
「大変です!標的機のワイヤーが切れました!…標的機はボーイングに向かっています!」
オレンジ色に塗装された訓練用ミサイルは、すでに放たれていた。
日航機客席にて
女の子:
「あれ見てあれ!なんか変なものが見えるよ亅
お父さん:
「本当だ、何だろう?鳥ではないね亅
カシャッ!
父親はそれをカメラに収めていた。
そこには、オレンジ色の円筒形の飛翔体、標的機が写されていた。
高濱機長:
「あれは…自衛隊の…」
18時24分
「バーン」という高い音。
高濱機長:
「なんか爆発したぞ?」
振動や揺れはなかった。
だが、元自衛官である高濱機長は事態を察知できていた。
その6秒後には、迅速に緊急事態「スコーク7700」を発信していた。
客席側では酸素マスクが自動的に落ちはしたものの、気圧が下がったりトランクが開いたりといった混乱はなく落ち着いた様子であった。
航空機関士:
「オレンジ?」
副操縦士:
「これ見てくださいよ」
航空機関士:
「えっ…オレンジ?」
外を見てみると、標的機が機体に絡みついていた。
機長は、羽田空港に帰還を要求し許可を得るが、油圧系統がダウンし操縦桿が効かず二次災害を考え断念、軍事施設であり滑走路の長い横田基地へと向かうのであった…
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