1999年8月発行・白水社
――風景をこえて
今年(*2002年)は国連の定める「国際山岳年」である。国連の意図するところは、環境あるいは資源としての山岳地域の〝保全〟あるいは〝開発〟なのであり、行為としての〝登山〟を考えてのものではないが、これを契機として山岳地域を遊び場とする側も某かのアピールをしていこうと、各種のイベントが企画され開催されている。山岳地域の〝保全〟あるいは〝開発〟が、国連にとって重要な課題となる背景には、地球環境の破壊という、その存立基盤への危機感がある。つまり、ほころびを見せ始めた〝近代〟を延命させるためには、山岳資源の管理が欠かせないものとしてあるのだろう。それでは行為としての登山をする側は、この機会に何をアピールしようとするのか。保護、保全といった環境の側面からだけでなく、行為としての〝登山〟そのものが、人間や近代の存立にどのように関わっているのかを考えることは、あながち無意味なことでもあるまいと思う。柏瀬祐之(かしわせゆうじ)氏の著作から、その辺りを探ってみたい。
中公文庫版『午後三時の山』の著者紹介によれば、柏瀬祐之氏は
「1943年、栃木県足利市に生まれる。10代より山登りを始め、20歳の時に岳志会を設立。当時の初登攀争いに伴う権威主義的傾向に反発し、谷川岳一ノ倉沢の全壁トラバースをもって問題を提起、硬直化した登山界に新風を吹き込む。日本山岳会々員。中央大学法学部卒。著書に『山を遊びつくせ』『ヒト、山に登る』があり、編著書に『日本登山体系』(全十巻、以上すべて白水社)がある。」とある。
谷川岳一ノ倉沢全壁トラバースや、『山を遊びつくせ』での近代アルピニズム終焉の予告が、当時の登山界へどのような衝撃を与えたのかは知る由もないが、頂上を極めることでなく、もたらされる「感覚の覚醒」こそが登山という行為の意味なのだという主張には、首肯する。
……日本経済がまだかろうじて高度成長路線を歩んでいた一九七〇年代はじめまでは、登山の世界を初登頂・初登攀主義(より未知へ)、標高主義(より高くへ)、困難度主義(より困難へ)が覆っており、登山者たちはその目玉商品に向かって蟻のように群がっていればよかった。他にことさらの動機など必要もなかったのである。だが、群れれば群れるほど対象となる山やルートは喰いつくされ、小粒化して、やがて目玉商品は事実上この地球から失われ、あとにはわずかに、自然の中で無為に遊ぶ物見遊山の楽しみが残るだけの寂しさとなった。
近代登山誕生以来二百年にわたって人々をひきつけていた目玉商品とその裾野がなくなったのだから、そこに不毛の荒野しか残らないのは当然だろう。いや、ひとつだけ残った物見遊山を寂しいといい荒野と呼ぶのは浅見かもしれない。自然の中で無為に遊ぶというその精神の成熟と豊穣は本来語るべくもないからだ。むしろその成熟と豊穣が耳目をひきつける目玉商品の存在によって忘れられ、痩せ衰えさせられていたと見るべきなのだろう。
(午後三時の山「今、山に登るということ」、下線―takobo4040以下同様)
アルピニズムを至上の価値とするヒエラルキーではなく、岩登りには岩登りの、沢歩きには沢歩きの、雪山には雪山の、そして尾根歩きには尾根歩きの個々の楽しみがあり、「登山の大目的は体験のおもしろさ、楽しさ、すばらしさである。だからそのメイン・ディッシュを味わうためには、登らない登山があってもいい。登らない貪欲さも時には必要だし、頂上なんてドーデモイイサと思う自由は、いつも保っておきたい」(前掲「なによりも深く雪と遊べ」)と軽やかに述べるのである。
さて、アルピニズムの〝終焉〟は、ひとり登山に限ってのことだろうか。時を同じくして〝近代〟そのものもまた〝終焉〟に向かい始めているのではないか。近代を支えてきた経済主義、世界主義、科学主義のほころびは、経済的停滞、民族・宗教的対立の拡大、地球環境の破壊という形で顕著になってきている。それでは、そもそも登山と近代とはどのような関係の中にあったのか、また登山という行為は、近代を超える契機となるのか、その辺りを提示したのが『ヒト、山に登る』である。
柏瀬はまず、近代登山の幕開けといわれる1786年のモンブラン初登頂劇の謎を追いながら、その中心的人物の一人にして近代登山の始祖と呼ばれるH.ソシュールに焦点を当てていく。そして、モンブラン初登頂は登山のみでなく、ヨーロッパ近代の始まりそのものである、と大胆な結論を導き出すのである。
私たちが山に登る理由の一つとして上げる〝風景〟に対する美意識は、人間が根源的に持っていたものではない。中世教会支配の弱まりによってもたらされたルネサンス=人間中心主義によって、人間の眼の焦点=視覚こそが空間の中心となっていったのである。
私は「近代」を視覚優位の時代と理解している。人間に視、聴、臭、味、触の五感があるとして、視覚の論理が他の四つの感覚をも席捲した時代と思っている。
視覚の論理とは焦点主義である。空間という漠然とした広がりを、いつも焦点を中心に据えてとらえる。焦点は、それを絞りこむことによって外界を認識するという、もっぱら人間の側の事情にもとづく任意の一点にすぎないが、その任意の一点が定められた瞬間、それは唯一絶対の中心として空間を支配する。
(「ヒト、山に登る」)
〝風景〟は最初から存在していたのではなく、空間の中心が神から人間の視覚(正確には、線遠近法的解釈)へと移ったことによって初めて認識されたのである。言い替えるならば、自然が神や悪魔といったものの領域から人間の領域へと変貌していったとも言える。柏瀬は「神聖な場所やケガれた場所など異質な空間の入りくんだ状態が、距離や高低といった測定可能な物理的空間に還元され、どこもかしこもノッペラボウに均質化してしまう、それこそ近代の根本である」というE.フッサールの言葉をあげ、モンブラン登頂は、世界史上でも初めての「空間の大衆化・均質化」、つまり近代の始まりそのものであったと喝破する。
一方で、「自然に帰れ」と唱えた同時代の思想家ルソーの自然観が、絵画的、調和的なもの、言うなれば「去勢された自然」であるのに対し、H.ソシュールの中には自然との臨場感、接触感が存在するという。H.ソシュールは「危険そのもの、希望と恐怖との入れかわり、自分の動作によって、心の中に保たれる不断の動揺」こそがアルプスの魅力なのだと吐露しているのである。
自然との接触が強まることによって、物理的空間のノッペラボウな均質性は崩れ、自分の接する空間だけが異質な濃密さでふくらんで、他とは異なった非均質な心理的空間をつくりだす。山は高さと気象条件こそ違え、同じ物理的空間として平地と連なっている、という脱中世的意識が、山を広く人々に開放したにもかかわらず、実際そこに登りはじめるやいなや、その科学的前提は、H.ソシュールのいうわけのわからない「不断の動揺」とともに崩れるのである。
(前掲)
このような「自然との接触感」は、私たちも山に登る中で往々に体験する。それは、肌で感じる風や掌で掬う水であったり、指で感じる岩肌の硬度や足裏の土の感触であったり、木や獣の臭いであったり、さらには闇やガスの中の何か解らない気配だったりする。単なる視覚的な〝風景〟ではなく、それら全てが登山という行為の中から感じられるのである。そこでの心理的な振幅「不断の動揺」が大きいほど、濃密な接触感=質感が生まれるのである。それは、自然を通した「自己との接触感」とも言えるだろう。例えば人と会うこともない静かな山や、凛とした冬の山を想起すれば、その中で感覚が研ぎすまされていくことは容易に体験できる。言ってみれば、視覚によって客体としての〝風景〟を捉えるのではなく、自分自身が風景の一部となる、風景に溶け込んでいく感覚なのだ。
かくして、登山なる行為は視覚の絶対化という近代的価値感の中から誕生したにもかかわらず、その接触感、触覚的志向によって、「はじめから脱近代の懐刀をのんでいる」と柏瀬は言うのである。
先に柏瀬は、近代を「視覚優位の時代」と定義したが、人間のいわゆる五感は、「視覚、聴覚、触覚、嗅覚および味覚、痛覚の順で展開し、最初の視覚に近づくほど対象の認知が優位を占め、逆に最後の痛覚に近づくほど自分の身体の経験が優位になる」。つまり視覚の客観主義から痛覚の主観主義へというスペクトルであり、その中間に位置する触覚は、両者をまるごとかかえこみ生かせる――近代を超える可能性を持ったものではないかと願望するのである。それは劇場空間から祝祭空間へとでもいうのだろうか、「臨場感の高揚した社会」と柏瀬は形容している。
近代とりわけ20世紀は、「映像の時代」といわれるように、まさに〝視覚〟が優位を占める時代だ。子供のテレビゲームや犯罪の様相を見ても、現代が〝痛覚〟から最も遠ざかっている時代であることがわかる。例えばTVやコンピューターに代表されるように、フッサールの言う「測定可能な物理的空間」=デジタル(記号的)な空間は、実体のない「臨場感の喪失した」バーチャルな空間(その政治的表現が〝グローバリズム〟であろうと思うのだが)へとヌエのように変貌しようとしている。繰り返しになるが、それは「任意の一点」に過ぎない視覚=線遠近法的解釈が、「唯一絶対の中心として空間を支配する」ということ、空間の解釈が一元化されるということである。
……われわれの目の前にある実在の世界というものは、線遠近法的に見るひとには線遠近点法的な空間が、そうでないひとにはそれなりの空間がひらける。どんな見かたも受け入れられる。多元的な世界解釈が許されるわけだ(人間ばかりでなく、動物にだって彼らなりの解釈が許される。したがって実在世界では生きとし生けるものすべてが共存できる)。
(前掲)
(2002年11月記)
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