べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

意志を遺(のこ)します

2017年05月26日 | 私事・未分類
看護師の義妹と話をしました。心臓病など命に関わる現場にいます。話を聞いて自分の意志を書いておくことにしました


「最期は皆様への感謝で締めくくりたい。わたし藤田卓郎は回復が望めないまたは薄い場合、延命治療を望みません。痛みなど緩和医療のみで穏やかに送り出していただきたい。いつ最期を迎えても後悔しない日々を心がけた本人の意志を尊重いただけるよう強く願います

平成29(2017)年5月10日
藤田卓郎」


いま死ぬ状態にはありませんし、ましてや死にたいわけでもありません。以前入院中に終末期の患者さんとご家族の様子を傍から見ていて、予(あらかじ)め意志を明示しておく必要があるんだと思い書いておくだけです

胃ろうや人工呼吸器など延命技術が発達し生き続け"させる"ことは可能になりました。 当人にとってそれが長くただ苦しい時間であったとしても。現実、あまり話もしていなかった親族の意見で当人の意思が反映しない最期を迎える例が40%程度あるそうです。少なくありませんね。親族にはわたしの意思がどのくらい伝わってるんだろうか。わかりません。また尊厳死は現在の日本では認められていません。そのため一度延命治療を始めると医者は止めることができないそうです。感情に従って延命治療を決めた周りも決断できないことが多いと聞きます。「なにかしてあげるべきだ」との周りの感情が意思表示できなくなった患者当人を苦しめます。わたしはこれが怖い

わたしは延命治療を望みません。緩和医療はお願いします。穏やかに送り出してください。あ、もちろん意識がハッキリしてたらそのとき考えますからね(藤田)


>遺言に依り生花、造花、放鳥の御贈与は堅く御断り申し上げ候

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