べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

17日夜、山鹿の避難所で

2016年04月25日 | 熊本地震関連
17日夜、山鹿市健康福祉センターにいる。透析先に一番近い避難所は既に閉鎖された。山鹿は被害が軽微だ。単純に震源からの距離で被害の大小が決まらない。家屋被害はあまり聞かない。断水が一部だけ。店舗はほぼ通常営業。惣菜や除菌ペーパーなど特定のモノだけ不足してる

ホテルと温泉はいっばいだそうだ。避難民は増えている。疎開だ。被災地であっても仕事に向かう親がほとんどで子どもと高齢者だけ逃がしている。主治医や透析スタッフの幾人かも山鹿へ仕事で通う被災者だった。熊本市楡木で被災した透析スタッフは1歳の子がひどく怯えたと言う。無理もない。きっとこの子らはタフになりますよ、お母さん。支えてくれる社会を自ら維持しようと、それぞれの持ち場で状況に立ち向かっている。テレビに写るのは動けない人たちばかり。それでも集めればあれだけいるのだ

山鹿の避難所で、微妙なバランスもある。こちらはクルマがあれば簡単に買い物へ行けるし自宅へ取りにも戻れる状態だが、それでも「数人が」不安にかられ買い占めたがる。自宅が避難すべき状況でなくとも、不安で周りを避難所へよびよせる。一時帰宅で潰されたニュースの後は震度4でも確かに怖い。夜間だけ避難所は人で溢れていた。住人やリーダーや被害体験の違いか、避難所によって空気がかなり違った。また避難所職員は親切だ。でも熊本市と切迫感がまるで違う。ヒトは自身の体験と周りに影響されながら行動を決めている

これはテレビとネットだけ見ていても見えてこない。映像や文字情報は自身の体験ではないからだ。見ている人間の感情にひっかかる「見たい」情報以外は見えてない。クチをはさむなと言ってない。関心を持ちアクションを起こす気なら目は閉ざすな。クズはいつもどこにでも存在する。大多数のまともな人間があがいてる。モニターの向こうには生身の人間がいる


こちらは震度4が一日に二度くらい。悲鳴は上がるが窓際から誰も離れない。声をかけたが動かない。物資は一部足りないが動いている。全体に交通や流通の復旧が急がれたおかげだ。教訓は生きている。どちらも職員や個人の差し入れボランティアは機能している。社会的支援はある。わたしはテレビで阿蘇の状況を見て(広がるていくんじゃないか…)と不安に思う。自分の足元が確保された証拠だ

そういった状況をふまえて思う。ヒトは周りに感化される。だから、自分の行動も誰かに影響をあたえている。また、自分と家族の行動は自分自身で決断していくしかない。受け身じゃダメだ。行動起こすにしろ静観するにしろ、周り「だけ」に振り回されるな

なにを選ぶんだ、俺?(藤田)

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