[4/25追記]
4月25日現在熊本市中央区。電気復旧、水道制限、ガス不通。水道は漏水箇所点検中、ガスは連休明けになりそうと聞いた。飲料水は手にはいるがまだ不安。調理は難しい。9階は余震でも揺れが怖いよ
附属の避難状況はあまりわからない。14日は初め開いてなかったと思う。指定避難所は京陵のほう。指定だから備えがあった。非常電源があり15日の停電時も校長室やグラウンドは明るい。充電器もあれば使えた。飲料水と食料は少量だが初日から配給された。分散備蓄がされているらしい。教訓は生かされている。断水にもプールの水で対応。武道館と校舎は耐震工事済みで壁や天井も不安は見えなかった。耐震されてない外廊下にはヒビはいってる。附属は、京陵がクルマですぐ一杯になりそうで開放されたと聞いた
京陵で14日は揺れが酷く、みな校舎に入りたくなかった。早朝かなり冷え込み移動。グラウンドにブルーシートはこたえる。グラウンドや車中泊が多く、若い家族が車中に残り高齢者を室内へ。避難所側も場を確保しようと声をかけ動く。テントと長椅子で仮説救護所も用意。医療従事者のボランティアがついた。15日になり避難民激増。3000人と聞く。クルマのない独居高齢者が増えたと感じた。夜明け近く寒くなりまた雨予報があって武道館や教室と順次開放され多くが移動。体育館は水銀灯が落ちて片付け後開放。片付けや椅子出しにと教頭が京陵中在校生とOBへ呼び掛け。彼らに自発的ボランティアも加わって、夜間でもクルマや高齢者誘導が意外とうまくいく。住民と支援の意識それにリーダーの熱意で違いが出たかもしれない
生き延びるという目標が共有できるうちは問題が少ない。長期化すれば、それぞれの目標の違いも大きくなる。必要なモノはバラけていく。早朝、二人におにぎり(またはパン)一個とお茶一本が配られる。それだけだか餓えてはいない。個々の持ち込みもありカロリーは足りる。でも赤ちゃん用は手に入らない
京陵は24日日曜までで避難所閉鎖(縮小?)、学校再開と聞いた
熊本市中央区京町本丁は熊本城のお膝元。附属小中に通う子どもの家族が多いのはバス通り沿いのマンション。ただ一歩路地に入ると古い一軒家やアパートも多い。戦災で焼けなかったかららしい。避難してわかったが、独居老人と若い家族が半々だった
バス通り沿いだけみると新しいマンションが多いのでなにごともなかったようだ。潰れたマンションは少し入ったところの築40年と聞いた。ウチのすぐ近く。路地裏では塀も倒れ地割れもある。一時帰宅してみても家々に窓やドアのきしみ多数。開かない閉まらない。全壊は聞かなかったが、この地域の完全帰宅はまだわからない(藤田)
4月25日現在熊本市中央区。電気復旧、水道制限、ガス不通。水道は漏水箇所点検中、ガスは連休明けになりそうと聞いた。飲料水は手にはいるがまだ不安。調理は難しい。9階は余震でも揺れが怖いよ
附属の避難状況はあまりわからない。14日は初め開いてなかったと思う。指定避難所は京陵のほう。指定だから備えがあった。非常電源があり15日の停電時も校長室やグラウンドは明るい。充電器もあれば使えた。飲料水と食料は少量だが初日から配給された。分散備蓄がされているらしい。教訓は生かされている。断水にもプールの水で対応。武道館と校舎は耐震工事済みで壁や天井も不安は見えなかった。耐震されてない外廊下にはヒビはいってる。附属は、京陵がクルマですぐ一杯になりそうで開放されたと聞いた
京陵で14日は揺れが酷く、みな校舎に入りたくなかった。早朝かなり冷え込み移動。グラウンドにブルーシートはこたえる。グラウンドや車中泊が多く、若い家族が車中に残り高齢者を室内へ。避難所側も場を確保しようと声をかけ動く。テントと長椅子で仮説救護所も用意。医療従事者のボランティアがついた。15日になり避難民激増。3000人と聞く。クルマのない独居高齢者が増えたと感じた。夜明け近く寒くなりまた雨予報があって武道館や教室と順次開放され多くが移動。体育館は水銀灯が落ちて片付け後開放。片付けや椅子出しにと教頭が京陵中在校生とOBへ呼び掛け。彼らに自発的ボランティアも加わって、夜間でもクルマや高齢者誘導が意外とうまくいく。住民と支援の意識それにリーダーの熱意で違いが出たかもしれない
生き延びるという目標が共有できるうちは問題が少ない。長期化すれば、それぞれの目標の違いも大きくなる。必要なモノはバラけていく。早朝、二人におにぎり(またはパン)一個とお茶一本が配られる。それだけだか餓えてはいない。個々の持ち込みもありカロリーは足りる。でも赤ちゃん用は手に入らない
京陵は24日日曜までで避難所閉鎖(縮小?)、学校再開と聞いた
熊本市中央区京町本丁は熊本城のお膝元。附属小中に通う子どもの家族が多いのはバス通り沿いのマンション。ただ一歩路地に入ると古い一軒家やアパートも多い。戦災で焼けなかったかららしい。避難してわかったが、独居老人と若い家族が半々だった
バス通り沿いだけみると新しいマンションが多いのでなにごともなかったようだ。潰れたマンションは少し入ったところの築40年と聞いた。ウチのすぐ近く。路地裏では塀も倒れ地割れもある。一時帰宅してみても家々に窓やドアのきしみ多数。開かない閉まらない。全壊は聞かなかったが、この地域の完全帰宅はまだわからない(藤田)