べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

われは神鳴り(1)|学問の神様と平安時代

2010年01月04日 | 社会
 写真は、週刊少年ジャンプで連載中の「ワンピース」からエネルさん。カミナリ人間です。学問の神様・太宰府天満宮(だざいふ・てんまんぐう)の菅原道真(すがわらのみちざね)も、藤原氏(ふじわらし)をうらんでカミナリをおとしたといいます。

へいあんじだい【平安時代】
794年-1185年/1192年。京都に都(みやこ)がうつされた。天皇(てんのう)を中心とする朝廷(ちょうてい)と、藤原氏などの貴族(きぞく)の時代。荘園(しょうえん)など私有地(しゆうち)がふえ、貴族と地方の武士(ぶし)が力をつける。

奈良(なら)時代→「794年;なくよウグイス平安京」→鎌倉(かまくら)時代

すがわらのみちざね【菅原道真】
平安時代の政治家。中国・唐(とう)がおとろえたことから、遣唐使(けんとうし)の廃止(はいし)を建議(けんぎ・意見をのべること)した。このため中国の影響(えいきょう)がうすれ、かな文字(もじ)など「国風(こくふう)文化」がひろまる。藤原氏との権力(けんりょく)あらそいに敗(やぶ)れ、太宰府で病死。

「894年;白紙(はくし)にもどす遣唐使」

宇多(うだ)天皇と菅原道真
藤原氏の力を弱め、天皇を中心に中央集権(ちゅううしゅうけん)をめざし「律令制」(りつりょうせい)をつよめようとした

藤原道長(みちなが)と頼道(よりみち)
天皇のしんせきとなり、摂政(せっしょう)・関白(かんぱく)として「摂関政治」(せっかんせいじ)をおこなう

「1016年;ひとは色なす道長、摂政」

だざいふ【大宰府】
現在の福岡県にあった、外交(がいこう・外国とのつきあい)・防衛(ぼうえい・国を守る)と周辺地域(しゅうへんちいき)をおさめるための役所。「府」は役所のこと。

 次回、センターチェック!(塾長)


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