べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

戦災(せんさい)はなかった

2012年08月15日 | さよなら、山鹿小
 写真は、山鹿市立山鹿小学校正門。中央棟と南側校舎がとりこわされて、なにもない。

「わあ!なくなってる」「戦争のあとみたい…」

 近くの学生寮に帰る高校生たち。山鹿小の生徒だった子もいるのかもしれません。


 山鹿には、古い区画(くかく)や路地(ろじ)がそのまま残されています。日本が戦争をしていた時も、山鹿は攻撃を直接うけませんでした。戦争に使われる工場や港がなかったからです。第二次世界大戦では、日本はアメリカや中国などの連合国と戦争をしていました。

1945(昭和20)年8月14日:日本政府が、「ポツダム宣言★」の受諾(じゅだく)。
1945(昭和20)年8月15日:日本が戦争に敗(ま)けたことを国民に公表。終戦の日

1951(昭和26)年:「サンフランシスコ平和条約★」をむすぶ。国際法の上で、正式に連合国各国と日本の戦争状態が終わる。ソ連・ポーランド・チェコスロバキアは調印をせず、インド・ビルマ・ユーゴスラビアは欠席。


 日本人にとって「8月15日」は、ご先祖さまの魂(たましい)が帰ってくる「お盆(ぼん)」でもあります。お迎(むか)えの灯(あか)りをつけて、家族とすごします。

 山鹿灯篭(とうろう)祭のメイン会場となる、山鹿小学校。小学生ばかりではなく、大人たちとご先祖さまとの思い出の場所でもあるのですね。

We welcome them with lanterns.|わたしの街を英語で紹介(3)


 校舎の解体が進みます。新しい体育館はもう、天井の灯りもまぶしい。

 さよならまたね、山鹿市立山鹿小学校。私の母校です。(塾長)


さよなら、山鹿小

南側校舎、すっぽり包まれる

中央棟花壇、解体開始

渡り廊下走れない

中庭で、けんけんぱっ

ほうきとちりとりと…これ、なんだ?

給食すんだら、掃除の時間

さよなら山鹿小、カウントダウン

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。