べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

心眼で見えぬのなら教えてやる(2)|明治の近代化をながれで見やぶれ

2010年01月13日 | 社会
 明治の近代化(きんだいか)でセンターチェック!前回はこちら。今回も高校生むけ。小中学生は読みとおせ!

[問題1]1873(明治六)年の征韓論争(せいかんろんそう)を中心とするこの時期の政局(せいきょく)について述(の)べた文として誤(あやま)っているものを1つ選べ。(1992年センター本試験より)

1、欧米諸国(おうべいしょこく)に派遣(はけん)されていた岩倉使節団(いわくらしせつだん)が帰国したとき、留守中(るすちゅう)の政府はすでに征韓論争で沸騰(ふっとう)していた。

2、学制(がくせい)の公布(こうふ)・徴兵令(ちょうへいれい)の制定(せいてい)・地租改正条例(ちそかいせいじょうれい)の布告(ふこく)は、いずれも岩倉使節団の留守中に政府の手でおこなわれた。

3、政府は「征韓派」(せいかんは)をしりぞけたあと、外交(がいこう)問題の重要性をみとめ、外務省(がいむしょう)をつくり、大久保利通(おおくぼとしみち)を外務卿(がいむきょう)に任(にん)じた。

4、岩倉使節団による条約改正(じょうやくかいせい)の交渉(こうしょう)は、最初の訪問地アメリカで困難に遭遇(そうぐう)した。


[解答1]3が誤り
岩倉使節団の条約改正の失敗から、殖産興業(しょくさんこうぎょう・生産をふやし産業をさかんにする)に力を入れることになる。そのため、1873年に官営事業(かんえいじぎょう)をまとめる内務省(ないむしょう)ができて、大久保利通は初代内務卿(しょだい・ないむきょう)に。また、北海道に開拓使(かいたくし)がおかれた。西郷隆盛(さいごうたかもり)・板垣退助(いたがきたいすけ)らをふくむ600人以上が明治政府をはなれた(明治六年の政変)。

[問題2]明治七年の出来事について述べた文として誤っているものを1つ選べ。(1996年センター追試験より)

1、征韓論争で敗(やぶ)れて下野(げや・政府をはなれる)していたもと参議(さんぎ)らが、民撰議院設立(みんせんぎいんせつりつ)の建白書(けんぱくしょ)を提出した。

2、加藤弘之(かとうひろゆき)らの『明六雑誌』(めいろくざっし)が発刊(はっかん)されて、あたらしい近代思想の普及(ふきゅう)に貢献(こうけん)した。

3、政府は地租改正反対一揆(ちそかいせい・はんたいいっき)におされ、地租の税率(ぜいりつ)を2.5パーセントに引きさげた。

4、江藤新平(えとうしんぺい)を中心に佐賀の不平士族(ふへいしぞく)が結集し、政府に対(たい)して反乱をおこした。


[問題3]3が誤り
1876(明治九)年地租改正反対一揆→1877年2.5%→1898年3.3%(第二次山形有朋内閣)。ほかは、明治六年の政変のあと政府をはなれた人々の反乱や自由民権運動へのながれからつかむ。明六社は明治六年だが、明六雑誌はその次の年に発刊。森有礼(もりありのり)・福沢諭吉(ふくざわゆきち)などがかかわった啓蒙(けいもう)雑誌。

 続きます。(塾長)


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