済々黌先輩英霊列伝⑭小佐井 武士「昭和19年9月、隼二機で比島レイテ沖敵艦隊に特別攻撃を敢行して散華」
済々黌先輩英霊列伝⑬宇野 光方「グァム島玉砕・夜間攻撃を敢行し壮烈な戦死の機関銃中隊長」
伊藤仁斎⑤「忠恕は是れ己が為にするの心を以て人の為にするなり。反求は是れ人を責むるの心を以て己を責むるなり。」
伊藤仁斎④「倹は善の基、嗇は欲の叢、倹にして施すことを好む者は、真の倹なり。倹にして施すことを知らざるは、亦嗇のみ。」
済々黌先輩英霊列伝⑫吉村 学「火砲と運命を共にすべく、復員後の昭和21年8月15日に自決した砲兵隊長」
伊藤仁斎③「仁の成徳、其の利沢恩恵、遠く天下後世に被るに足って極まれり。」
伊藤仁斎②「慈愛の心、渾淪通徹、内より外に及び、至らずという所無く、達せずという所無うして、一毫残忍刻薄の心無き、正に之を仁と謂う。」
済々黌先輩英霊列伝⑩「硫黄島・ニューギニアに散った済々黌剣道部黄金期の剣士達」
伊藤仁斎①「人として礼譲の心無きときは、則ち他の美有りと雖ども、皆観るに足らず。故に天下譲りより善きは莫く、譲りを知らざるより善からざるは莫し。」
済々黌先輩英霊列伝⑨田邊章一(S2卒)「映画脚本『大日本帝國史』が金賞に輝く程の文才の教師、戦後シナ大陸で病死す」
済々黌先輩英霊列伝⑧蓮田善明「敗戦後ジョホーバルにて、上官の「日本精神の壊滅」発言が許せずに射殺し、自らも自決する」
済々黌先輩英霊列伝⑦ペリリュー島海軍指揮官大谷龍蔵「軍属の後輩に万年筆を預け遺族への伝言を託し、ペリリュー島にて生涯を終えた。」
済々黌先輩英霊列伝⑥堀内豊秋「海軍体操の創始者・海軍落下傘部隊隊長としてメナドで住民に慕われるも、オランダによる復讐裁判で処刑される」
済々黌先輩英霊列伝⑤神代儀平「航空機エンジニアのパイオニアとしての道を歩み、豪北ニューギニアに散る」
熊澤蕃山⑨「人欲を去て天理を存するの工夫は、善をするより大なるはなく候。」
済々黌先輩英霊列伝④武藤 章「開戦を避ける為に日米交渉に力を注ぐも、「A級戦犯」として処刑される」
熊澤蕃山⑧「君子は順にあふては物をなし、逆にあふては己をなす。」
済々黌英霊列伝③中村鎮雄「戦勝国の復讐裁判によりチャンギ―にて処刑された憂国の士」
熊本県立済々黌高校・九州大学を経て日本青年協議会奉職。同会の要職を歴任。令和元年8月に本部役職を退任。現在「永遠の武士道」研究所所長、熊本陽明学研会会長、日本会議熊本理事長、救う会熊本副会長。
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