「道の学問・心の学問」第三十二回(令和2年12月25日)
伊藤仁斎に学ぶ④
「倹は善の基、嗇は欲の叢、倹にして施すことを好む者は、真の倹なり。倹にして施すことを知らざるは、亦嗇のみ。」
(『童子問』中巻第三十三章)
仁斎は、「王道は倹を以て本とする。奢る時には不足し、倹約する時には余りが生じる。自分の余りが有る事で人が不足して困っている事を救う事が出来る。」「昔の聖王は皆、自ら倹約に務める事で民を養う基を立てた。」と述べ、「倹徳」なる言葉を示している。覇道は力による政治であり、王道は「仁徳」による政治である。政治の基本は「恒産恒心」、則ち、民に衣食住の苦しみを与えない事にある。それ故、倹約こそが為政者の美徳の基なのである。
更に「倹(倹約)」と「嗇(吝嗇・しょく・どけちな事)」の違いについて次の様に述べている。「倹と嗇とは、姿は似ているが、その心は全く相反している。倹は善の基であり、嗇は欲の叢(くさむら)である。倹にして施す事を好む者は、真の倹である。倹にして施すことを知らないのは、嗇に他ならない。昔の人が倹約に務めたのは、他の人に施す為にである。倹約に熱心のくせに人に施す事を知らないのは、倹約と言うべきではない。世の中のケチな卑しい者たちが倹約にかこつけて贅沢をしている者達をけなすのは笑い飛ばして良い。倹約家で施す事を好む者は、誠の大徳の人物である。倹約しながら人に施す事を知らない者は守銭奴に過ぎない。」
クリスマスで思い出すのは、オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」の逸話である。貧しい夫婦が相手を思って自らの大切なもの(金の懐中時計と美しい髪)を売ってプレゼント(鼈甲の櫛と懐中時計用のプラチナの鎖)を買ったが、結局は役に立たず、行き違いになってしまう。だが、二人夫々の相手を思う気持こそが最も大切なプレゼントなのである。最近は「自分への御褒美」等と言って、自らの欲望を満たす事を正当化しているが、プレゼントとは本来他人への思い遣りの心から生まれるものである。
私はボランティア職の様なもので、贅沢とは無縁の世界に生きている。しかし、それでも大切と思う所には会員となり会費を払っている。それは二十近くに及び毎月の様に何らかの会費を納入している。わずかな金額の会費でも、その会が大切な事を守ってくれているので感謝の思いで振り込んでいる。「貧者の一燈」という言葉があるが、日頃質素倹約で生きている人ほど、価値ある事の為にお金を差し出すのだ。仁斎は終生、野にあって学問を究めた。生活は貧しくとも心は豊かだった。「倹約」と「吝嗇」とは天地の開きがある。価値あるものや人を支える為に「質素倹約」を実践する事こそが善を身に付ける基なのである。
伊藤仁斎に学ぶ④
「倹は善の基、嗇は欲の叢、倹にして施すことを好む者は、真の倹なり。倹にして施すことを知らざるは、亦嗇のみ。」
(『童子問』中巻第三十三章)
仁斎は、「王道は倹を以て本とする。奢る時には不足し、倹約する時には余りが生じる。自分の余りが有る事で人が不足して困っている事を救う事が出来る。」「昔の聖王は皆、自ら倹約に務める事で民を養う基を立てた。」と述べ、「倹徳」なる言葉を示している。覇道は力による政治であり、王道は「仁徳」による政治である。政治の基本は「恒産恒心」、則ち、民に衣食住の苦しみを与えない事にある。それ故、倹約こそが為政者の美徳の基なのである。
更に「倹(倹約)」と「嗇(吝嗇・しょく・どけちな事)」の違いについて次の様に述べている。「倹と嗇とは、姿は似ているが、その心は全く相反している。倹は善の基であり、嗇は欲の叢(くさむら)である。倹にして施す事を好む者は、真の倹である。倹にして施すことを知らないのは、嗇に他ならない。昔の人が倹約に務めたのは、他の人に施す為にである。倹約に熱心のくせに人に施す事を知らないのは、倹約と言うべきではない。世の中のケチな卑しい者たちが倹約にかこつけて贅沢をしている者達をけなすのは笑い飛ばして良い。倹約家で施す事を好む者は、誠の大徳の人物である。倹約しながら人に施す事を知らない者は守銭奴に過ぎない。」
クリスマスで思い出すのは、オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」の逸話である。貧しい夫婦が相手を思って自らの大切なもの(金の懐中時計と美しい髪)を売ってプレゼント(鼈甲の櫛と懐中時計用のプラチナの鎖)を買ったが、結局は役に立たず、行き違いになってしまう。だが、二人夫々の相手を思う気持こそが最も大切なプレゼントなのである。最近は「自分への御褒美」等と言って、自らの欲望を満たす事を正当化しているが、プレゼントとは本来他人への思い遣りの心から生まれるものである。
私はボランティア職の様なもので、贅沢とは無縁の世界に生きている。しかし、それでも大切と思う所には会員となり会費を払っている。それは二十近くに及び毎月の様に何らかの会費を納入している。わずかな金額の会費でも、その会が大切な事を守ってくれているので感謝の思いで振り込んでいる。「貧者の一燈」という言葉があるが、日頃質素倹約で生きている人ほど、価値ある事の為にお金を差し出すのだ。仁斎は終生、野にあって学問を究めた。生活は貧しくとも心は豊かだった。「倹約」と「吝嗇」とは天地の開きがある。価値あるものや人を支える為に「質素倹約」を実践する事こそが善を身に付ける基なのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます