
「道の学問・心の学問」第二十三回(令和2年10月23日)
熊澤蕃山に学ぶ⑧
「君子は順にあふては物をなし、逆にあふては己をなす。」
(『集義和書』巻第二)
熊澤蕃山の主著は『集義和書』『集義外書』である。それらの中から私自身の心に響き訓えられた言葉を、これから順次紹介して行きたい。
熊澤蕃山は若くして重用され岡山藩で活躍したが、明暦二年(1656)三十九歳の時に馬から落ちて身体が不自由となった為、仕官を辞して浪人となった。更には貞享四年(1687)六十九歳の時に、将軍綱吉に対し二十一カ条の封事を上書した事が、幕府の忌憚に触れて下総の古河に禁固され、その四年後に亡くなった。それ故、後半生は不遇の身の上だった。しかし、蕃山はその逆境に安んじ、数多くの著作を後世に遺した。その意味では、山鹿素行の赤穂配流や吉田松陰の野山獄・自宅幽閉と同じである。蕃山の「逆境」に関する言葉に接すると、人間の心持の在り方の重要さを教えてくれる。
蕃山は言う。「人生の境遇には様々あると言っても、つまる所は順境・逆境の二つである。小人(ダメ人間)は順境では驕り、逆境を悲しむ。それは春秋を常として夏冬が無い事を思う様なものだ。君子(立派な人間)は順境にあっては物事を成し、逆境にあっては自分の徳を磨く。春や夏に伸びて秋冬に納める様なものである。富貴や福沢(ふくたく)は春夏の道で、貧賤患難は秋冬の意味である。四時は天の与える禍福である。(略)世の中は富貴福沢・貧賤憂戚が相伴うものである。それ故、逆境にあろうとも誰かを憾み咎める様なことはしない。」
蕃山は言う、「外出も不自由になって、外から見れば困難・災厄の様に見えるかも知れないが、私の心には天が与えた幸であると思っている。(略)自分の心にまことに罪過の覚えがあるのならば、心は困厄の地にあるのだ。例え、外には罪の唱えがあっても、自分の心に恥じる点が無いならば心は広大高名の本然を失うべきではない。(略)唯、自分の心に曇りが無いならば、日蝕や月蝕が晴れる様に後世に至って自ずから明らかになるので、其の流罪等の事は逆に誉れとなって傷にはならない。」(『集義外書』巻之一)
更に、人の誹りについての心友の質問に、「人の褒めは私を疲れさせ、人の誹りは私を休ませる事となる。私は病気がちで体力気力共に乏しいからあまり働けない。それ故誹りが私を助けてくれるのだ。(略)誹りは私の過ちを正し、浮ついた気を鎮めて身を養生してくれる。褒めは私の過ちを増して浮気を生じさせ気力を減らすのだ。」と。(『集義外書』巻之八)
蕃山は、自らの不遇を逆に養生の糧とした。その中で「己をなし」て、後世の人を教え導く不朽の著作を生み出したのである。
熊澤蕃山に学ぶ⑧
「君子は順にあふては物をなし、逆にあふては己をなす。」
(『集義和書』巻第二)
熊澤蕃山の主著は『集義和書』『集義外書』である。それらの中から私自身の心に響き訓えられた言葉を、これから順次紹介して行きたい。
熊澤蕃山は若くして重用され岡山藩で活躍したが、明暦二年(1656)三十九歳の時に馬から落ちて身体が不自由となった為、仕官を辞して浪人となった。更には貞享四年(1687)六十九歳の時に、将軍綱吉に対し二十一カ条の封事を上書した事が、幕府の忌憚に触れて下総の古河に禁固され、その四年後に亡くなった。それ故、後半生は不遇の身の上だった。しかし、蕃山はその逆境に安んじ、数多くの著作を後世に遺した。その意味では、山鹿素行の赤穂配流や吉田松陰の野山獄・自宅幽閉と同じである。蕃山の「逆境」に関する言葉に接すると、人間の心持の在り方の重要さを教えてくれる。
蕃山は言う。「人生の境遇には様々あると言っても、つまる所は順境・逆境の二つである。小人(ダメ人間)は順境では驕り、逆境を悲しむ。それは春秋を常として夏冬が無い事を思う様なものだ。君子(立派な人間)は順境にあっては物事を成し、逆境にあっては自分の徳を磨く。春や夏に伸びて秋冬に納める様なものである。富貴や福沢(ふくたく)は春夏の道で、貧賤患難は秋冬の意味である。四時は天の与える禍福である。(略)世の中は富貴福沢・貧賤憂戚が相伴うものである。それ故、逆境にあろうとも誰かを憾み咎める様なことはしない。」
蕃山は言う、「外出も不自由になって、外から見れば困難・災厄の様に見えるかも知れないが、私の心には天が与えた幸であると思っている。(略)自分の心にまことに罪過の覚えがあるのならば、心は困厄の地にあるのだ。例え、外には罪の唱えがあっても、自分の心に恥じる点が無いならば心は広大高名の本然を失うべきではない。(略)唯、自分の心に曇りが無いならば、日蝕や月蝕が晴れる様に後世に至って自ずから明らかになるので、其の流罪等の事は逆に誉れとなって傷にはならない。」(『集義外書』巻之一)
更に、人の誹りについての心友の質問に、「人の褒めは私を疲れさせ、人の誹りは私を休ませる事となる。私は病気がちで体力気力共に乏しいからあまり働けない。それ故誹りが私を助けてくれるのだ。(略)誹りは私の過ちを正し、浮ついた気を鎮めて身を養生してくれる。褒めは私の過ちを増して浮気を生じさせ気力を減らすのだ。」と。(『集義外書』巻之八)
蕃山は、自らの不遇を逆に養生の糧とした。その中で「己をなし」て、後世の人を教え導く不朽の著作を生み出したのである。
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