「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

伊藤仁斎①「人として礼譲の心無きときは、則ち他の美有りと雖ども、皆観るに足らず。故に天下譲りより善きは莫く、譲りを知らざるより善からざるは莫し。」

2020-12-04 15:09:55 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第二十九回(令和2年12月4日)
伊藤仁斎に学ぶ①
「人として礼譲の心無きときは、則ち他の美有りと雖ども、皆観るに足らず。故に天下譲りより善きは莫く、譲りを知らざるより善からざるは莫し。」
                                                         (『童子問』中巻第五十三章)

 伊藤仁斎は、江戸時代初期の儒学者で「古学」「古義学」で有名である。寛永四年(1627)に京都の商家で生まれ、宝永二年(1705)に七十九歳で亡くなった。その間、高名を慕う大名などの仕官招聘には目もくれず、生涯市井の一求道者、教師として清貧の生活を貫いた。若い時より学問を好み、漢籍の殆どを読破している。学問が進むにつれて、朱子学の理屈っぽさに違和感を覚え、日常生活の中に生きる倫理と人間像を探求し、朱子学を始めとする後世の学問を否定し、『論語』と『孟子』に直接学ぶ事の大切さを主張した。

 仁斎は論語を「最上至極宇宙第一書」と呼び、孔子の言行録である『論語』と、その註釈に当る『孟子』の中に「人としての道」は全て説かれていると主張した。丁度、西欧でカソリック教会に反旗を翻したルターやカルビンが「聖書」に直接学ぶ事を主張したのにも似ている。仁斎は、漢代以降の儒学は、老荘や仏教の影響が大きいとして、その解釈を峻拒し、論語と孟子の原文から直接人が生きる智慧を学び、生活で実践する事を説いた。今日、仁斎によって「儒教の日本化」が為されたと述べる学者は多い。仁斎の教えは日本人の「論語好き」の遠因となり、後の石門心学にも受け継がれて行く。尚、連載の第一回で紹介した様に、明治の基督教指導者の内村鑑三は仁斎を最も尊敬し、「大儒伊藤仁斎」を草している。

 仁斎は「礼譲(他人に対し礼を尽してへりくだる事)」を最も重んじた。『童子問』の中の「世に応じる道」についての質問に対し、仁斎は「譲る事が最も大切である。譲る事は実徳である。上を犯し勝つ事を好み、人と争奪するのは、皆譲りを忘れた事から生じる。故に、一譲立って、衆徳は集まる。」「人として礼譲の心が無い時は、他の美徳があっても、観るに堪えない。それ故、天下に於て譲る事より善い事は無く、譲る事を知らない事より、善くない事は無い。」と述べている。仁斎は「礼譲」の徳を身に付けた大人であった。それ故、多くの人々がその徳を仰ぎ慕った。

 荻生徂徠の高弟である太宰春台は、仁斎の人柄について「その容貌は恭しく、言葉は緩やかで、君子人である。」「温厚な人である。ただ仁斎の瞳の明らかである事は、眼光が人を射る程の鋭さがある。学問を練り上げて徳を成した人だと思われる。元々は非常に圭角のある人であったのであろう。随分柔らかな人だが、極めて英気ある人である。」と記している。伊藤仁斎は、学問によって「人徳」を磨き上げた人物だと言え様。今回より高徳の人物・伊藤仁斎の言葉と生き方に学んで行きたい。


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