「続『永遠の武士道』」第三回(令和2年6月9日)
義を守ての滅亡と義を捨てての栄花とは、天地格別にて候
(「北条氏綱書置」『武家家訓・遺訓集成』)
北条早雲に始まる後北条家は、第三代氏康の時に絶頂に達し、第五代氏直迄約一世紀続いた。氏康の快挙は、その父であり初代早雲の長子だった氏綱が、良く父の教えを守り、更に嫡男の氏康に伝えた事による。
その氏綱は天文十年(1541)7月に亡くなるが、その直前の5月、五カ条の遺訓を氏康に残している。それが「北条氏綱書置」と呼ばれるものである。
その第一条では冒頭に「大将によらず、諸侍迄も義を専に守るべし。」と大将だけでなく全ての武士が「義」(正しい道)を専ら守るべき事を強調している。
更に次の様に述べる。「義に背く行いであれば例え一国二国を奪い取っても後代から見れば恥辱となる。天運が尽きて滅亡したとしても義理は決して違えなかったとの自信があれば、後世に後ろ指を差される恥辱を受ける事は決して無い。昔から天下を治める者でも一度は滅亡の時が来るものである。
人の命はわずかの間なのだから、いやしい心持は決してあってはならない。古い物語を聞いても、義を守っての滅亡と義を捨てての栄花(栄華)とは、天地を隔てる程の相違がある。大将の心の底に義を守る確固たる信念があれば、配下の諸将も義理を思う様になる。無道の働きで利を得たる者は、終には天罰を逃れる事が出来ないのだ。」
これらの言葉には父早雲の訓えが厳然と生きている。大将たるものの持つべき確かな倫理観こそが配下の武将の高潔な精神を維持せしむるのである。人生は限りなく短く、その間の行為の是非については、長い歴史の中で後世の人々が判断を下す訳であり、歴史に不名誉な名前を残したく無いとの強い「名誉心」こそ、彼らの矜持であった。
残りの四カ条も素晴らしい。要約する。
第二条 総じて人間には役に立たない者は居ない。その者の役に立つ所を使い、役に立たない所を使わないのが良い大将である。
第三条 侍は驕ったり諂ったりしてはいけない。自分の身相応の分限を守る事が良い。分限を越えて華美を求める風潮が生じれば家中の風儀が悪くなり、大将の鉾先迄弱まってしまう。
第四条 万事倹約を守るべきである。そうすれば庶民を痛める事も無い。
第五条 勝利の後には驕りの心が生じ易い。勝って兜の緒を締めよとの古語を忘れるな。
義を守ての滅亡と義を捨てての栄花とは、天地格別にて候
(「北条氏綱書置」『武家家訓・遺訓集成』)
北条早雲に始まる後北条家は、第三代氏康の時に絶頂に達し、第五代氏直迄約一世紀続いた。氏康の快挙は、その父であり初代早雲の長子だった氏綱が、良く父の教えを守り、更に嫡男の氏康に伝えた事による。
その氏綱は天文十年(1541)7月に亡くなるが、その直前の5月、五カ条の遺訓を氏康に残している。それが「北条氏綱書置」と呼ばれるものである。
その第一条では冒頭に「大将によらず、諸侍迄も義を専に守るべし。」と大将だけでなく全ての武士が「義」(正しい道)を専ら守るべき事を強調している。
更に次の様に述べる。「義に背く行いであれば例え一国二国を奪い取っても後代から見れば恥辱となる。天運が尽きて滅亡したとしても義理は決して違えなかったとの自信があれば、後世に後ろ指を差される恥辱を受ける事は決して無い。昔から天下を治める者でも一度は滅亡の時が来るものである。
人の命はわずかの間なのだから、いやしい心持は決してあってはならない。古い物語を聞いても、義を守っての滅亡と義を捨てての栄花(栄華)とは、天地を隔てる程の相違がある。大将の心の底に義を守る確固たる信念があれば、配下の諸将も義理を思う様になる。無道の働きで利を得たる者は、終には天罰を逃れる事が出来ないのだ。」
これらの言葉には父早雲の訓えが厳然と生きている。大将たるものの持つべき確かな倫理観こそが配下の武将の高潔な精神を維持せしむるのである。人生は限りなく短く、その間の行為の是非については、長い歴史の中で後世の人々が判断を下す訳であり、歴史に不名誉な名前を残したく無いとの強い「名誉心」こそ、彼らの矜持であった。
残りの四カ条も素晴らしい。要約する。
第二条 総じて人間には役に立たない者は居ない。その者の役に立つ所を使い、役に立たない所を使わないのが良い大将である。
第三条 侍は驕ったり諂ったりしてはいけない。自分の身相応の分限を守る事が良い。分限を越えて華美を求める風潮が生じれば家中の風儀が悪くなり、大将の鉾先迄弱まってしまう。
第四条 万事倹約を守るべきである。そうすれば庶民を痛める事も無い。
第五条 勝利の後には驕りの心が生じ易い。勝って兜の緒を締めよとの古語を忘れるな。
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