風、樹頭を吟じ、
波、沙石を打つ
(風が木々を揺するその音、あるい波が砂浜に打ち上げるその音、
それこそが 仏の説法である)
晩秋の天気の良き日を選んで、大峰奥駈け道の1500m以上の山が50座あるという、 その中の一つ大普賢岳に登る
国道169号線吉野川沿いに南下、 対岸の山肌の木々の紅葉は今が見ごろ
169号線新伯母峰トンネルすを過ぎた、和佐又口を右折、舗装された林道を山上向かって進む
林道の周辺も紅葉に染まっていた。
今夜の宿、和佐又ヒュッテに到着。 夕暮れまでの時間、和佐又山へ登る予定
和佐又山の風景
和佐又山(1344m)
和佐又山頂上からの、遠望 奥の山、右が、弥山(1895m) 左の山が、八経ヶ岳(1915m)
山を下って小屋での風呂 、期待してはいなかっただけに、山でのお風呂は一番の御馳走。
夕食も終わり、後は明日に備えて早めに寝る 今夜の客は我々2人だけ、どこでも好きな所を
早朝、朝日に輝く 和佐又
朝食を済ませて
今回の目指す山、 大普賢岳へ出発
和佐又のコル 西へ行けば無双洞、そして七曜岳へ、 南へ登れば昨日の和佐又山 北に進めば大普賢岳
遠くのほうで、鹿の鳴き声が聞こえてきた。 この地方の奥山を歩けば鹿の鳴き声がよく聞かれる。
あれは10数年も前になるだろうか 奥駈け道を単独行で縦走している時、 次の宿泊予定地までの距離が、
まだまだと言うのに、日も暮れてきて、風も吹いて寒くなってきた、そんな時,遠くの山から鹿の鳴き声が聞こえる。
あれは母鹿が、小鹿をよんでいるのだろうか、小鹿が、母鹿を、呼んでいるのだろうか、そんなことを思いながら歩いていると
むしょうに、物悲しい気持ちになった。 そんな遠いの昔の事を思い出させる。
長い鉄階段、 これがあると、大分高度を稼げる
笙ノ窟 大峰修験の参籠行場の一つ、 修験道の開祖、役小角(役の行者)が最初に修業したところと言われ、
西行、など
ここを訪れた高僧の古詠も多いと言う。 また日蔵上人という高僧も承平四年(934)37日間断食修業したと
太平記に語っている。
寂寞の苔の岩戸のしずけさに
涙の雨のふらぬ日ぞなき
日蔵上人
強大な絶壁、 鷲ノ窟、朝日ノ窟 、シタンノ窟、など一帯に岩窟がある。
高度を上げるにしたがい、冬の様相
修験道では、特に定まった経典は用いない。
修験道が依るべき経とは、つねにあるがままのすがたが経である,という
松風、妙法を談ず 松風の音声を聞くことがそのまま、仏が説く妙法を聞くことになる。
雪も多くなった
石ノ鼻 登山道の中で展望のいいところ、晴れた天気のいい日は果無の山々までみえるかも
ようやく奥駈け道の分技まできた 右に行けば山上ヵ岳、左で大普賢頂上だ。 あと少し、一頑張り!
雪の奥駈け道 雪も深くなってきた。
樹氷はきれいだが、風も強く強行軍
ようやく来ました。 雪道と、数多い鉄の階段ががすべりやすく、簡単な登山では
無かっただけに、きっと思い出の登山になるでしょう。
大普賢岳(1780m) 頂上
冷たくなった弁当を食べ、下りは気をつけようと、声掛け合いながら、もと来た道を和佐山の小屋まで
今回の2日間の登山終わり。
再びR169号線 大阪方面に向かって
R169号線 杉の湯ホテル でトイレ休憩
登山は自宅の玄関に入るまで気をつける。
事故もなく我が家に無事帰る。 現在、人間二人とタマ、 トラ 、四人で テレビの前で歌謡番組をみています。
次の山行を考えながら、、、
大普賢周辺の山々
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