西高野街道 大阪府 堺市の 西高野街道は、平安時代後期から盛んになってきた高野山への、参詣道として整備された。
堺が港町として発展する中世以降、堺と南河内、高野山を結ぶ街道として発展しました。
大小路から百舌鳥梅北町、関茶屋、岩室を経て高野山に至る道です。
今回その街道をとうして、高野山に詣でた人々の気分を、少しでも味わえたらと歩いてみました。
その昔、賑わった街道ですが、町も現代の世になれば昔の面影を残すものは、ほとんど残っていない。
舗装された道を歩きながら、 昔は周囲は田んぼや畑で、溝には水が流れていて
カエルやオタマジャクシが泳いでいただろう。 そんな想像して歩いてみるとオタマジャクシが見えてきそうです。
左のお家は古風なたたずまい 昔の先祖の時代からさぞかし お金持ちの家だったでしょう。
右側にこんもりした森が出てきた。
御廟表塚古墳 (ごびょうおもてつかこふん)
案内板によると、この古墳は前方後円墳で現在では前方部が削られ濠も一部を残して埋め立てられている。
墳丘は、全長75mといわれ2段に築かれた後円部は直径は54m、高さ10mと推定されている。
深さ1,5mの濠もみつかり 円筒埴輪、顔形埴輪、家、蓋などの埴輪も出土しています。 との事です。
相当大きな古墳だったようですが、今では住宅に囲まれ小さくなり、中の被葬者も、狭くなった、車が走ってうるさい
ああ~昔はのどかでよかったなーと思っている事でしょう。
古墳の前のお家、母屋は塀や大きな樹木に囲まれてよくは解かりませんが、萱葺きの豪壮な構えでした。
歴史のある堺には、 所どころに文化財級の建造物があります。
門の前の大木は、大阪府指定天然記念物 百舌鳥のくす
樹齢が八百年、千年ともいわれ、堺屈指の巨樹として知られており江戸時代のはじめ頃から雨乞いの霊木として
祀られてきたそうです。
この一帯は古墳,旧家、森のような木々、猫ちゃん達の格好の棲みかなのか5~6匹
食べ物をねだりにきました。 木の陰からそっと見ている猫,遠巻きに私の前を行ったり来たりする猫、 世渡りの上手な猫は私の足元まできて
スリスリします。 持っていた弁当からカツオのお結びを与えました。 (こんどからリックの中に何か入れておくからね)
不器用で世渡りの下手な者はダメですね。 スリスリするようなネコちゃんを見習わなければ、、、、
この黒塀のお家も、街道沿いお金持ちの旧家のようです。
道標 右高野山女人堂十二里 南無大師遍照金剛
左 滝谷?
この石塔は何年、何百年前からこの場所に立って多くの善男、善女を見送り、迎えて、世の移り変わりを
見てきたことでしょう。
堺市南区関茶屋33番地
この辺りの地名に、関茶屋、中茶屋、下茶屋など茶屋の名がつく所がある。
高野山詣での人々の休息の場所が所どころにあったのだろう。
一軒のお家にお地蔵さんをおまつりしている所がありました。
昔から道傍にお地蔵さんが祭られていたのでしょう。 それを道路の整備する時又、家を改築する時
この家の方が家の中にお祭りしたのでしょうか。
始めて通ったこの道,初めてお逢いしたお地蔵さんに手を合わせました。
。
今日は電車駅、三国ヶ丘駅から七つの駅間を昔をしのんで歩いた。
お大師様に見守られながら、、、、、、、、
南無大師遍照金剛
南無大使師遍照金剛