みどりを求めて!

野や山、森が発する自然のエネルギーを全身に受け
二度と来ない今日が、素晴らしい一日であるように!

公園散策

2014-10-30 19:48:29 | その他

 天気もいい一日  ぶらっと家をでて 着いた所が  大阪の長居公園

 

 中には池があり白鳥が気持ち良さそうに泳いでいます

 広い公園だけに町の騒音が聞こえる事もなくくつろげる場所です。

 

 朝晩は寒い頃になりましたが 昼間は暖かいくらいで  亀も日向ぼっこをしています。

 そういえば 半月くらい前、散歩の途中で、大きな亀に出あいました。

 川のある方から 山の方向に一生県命に登っています、そのまま登ればその先には

 車が多く通る道に出ます  そこを横断などすれば、車に引かれ即死です

 これは大変と亀を捕まえて川のところへ下りて放しました。(石のように硬く重かった)

 あれから何日か経ちます いまのところ何の変わったこともなく、日々を過ごしていますが

 もしかすれば近々乙姫様からの御使いがあるかもしれません。

   お土産の玉手箱の蓋だけは絶対開けないように

   しょうと、心に決めています。

 

 バラ園があり今が盛りなのでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 


弥生時代

2014-10-25 22:23:08 | その他

 2000年前の池上曽根遺跡 

 2千数100年前、本州、九州、四国が水を使う米作りを基礎とし鉄や青銅の金属を使った生活が始まり

 人々の暮らしが豊かになりました。 やがて富をめぐって戦いがおこりました。

 そして支配する人、される人の区別ができました。

 1750年前ごろ、身分の高い人を葬った人口の墓、つまり古墳が出現します。

 それまでの約700~800年を弥生時代と呼びます。  (案内書より)

 

 弥生時代の最大級の大型掘立柱立物復元

 

 大型のくり抜き井戸の復元

 

 小型堀立柱建物 道具作りなどした作業場所の再現

 

 竪穴住居  弥生時代のマイホーム、建っているもの、埋まりかけたもの、完全に埋まってしまったものを

 復元し、 紀元前50年頃の様子を再現

 

 家族での食事風景

 

 村の模型  池上曽根村はこんな風景だったのでしょうか

 

 

 

 

 

 


日本最古のダム式ため池  狭山池を訪ねる

2014-10-22 19:40:55 | その他

大阪狭山市の狭山池の博物館へ行く

狭山池は、7世紀の初めごろに誕生した日本最古のダム式のため池です。

狭山池の改修には、奈良時代の行基、鎌倉時代の重源、江戸時代の片桐且元など歴史上の

有名な人物が携わってきました。1400年の歴史が重なる堤、水を取り出す樋、 堤の滑りを防ぐ木製枠工

などの土木遺産には、各時代の知恵と工夫が活かせれていました。

                      博物館のパンフレットより

 博物館の入り口正面玄関です。  有名な建築家安藤忠雄という人の設計だそうです  

  現地について、まず入り口が わからない、 中に入ってからはコンクリートの分厚い壁ばかりで 南海、東南海、地震ではビクともしないだろうなーと云う感じです。

    展示は奈良時代、推古天皇の時代に造られた当時からの紙芝居を見せてもらったり 貴重なものが展示されていました

    (余分ですが帰りの出口がわからない 案内所のお嬢さんに右、左と教えてもらって歩きだしたのですがこれでいいのかな? 安藤さん)

    

 

 数年前の大改修の時出てきた堤の現物 見る人が見れば1400年の歴史がわかるのでしょう。

 

 たしか名古屋地方?にすんでいた 土木技術集団、黒鍬という人たちが工事に携わったそうです。

          (余分ですが伊賀の忍者の映画などで黒鍬党などという名前を聞いたことがありますが・・・・)

 

 工事に使った木製のスコップ    昔の人はエラカッタ ですねー 現代のように重機があるわけでなし

  のスコップで池を造ったり御陵、古墳を造る 

 

     ( 又余分、 エラカッタと云っても現場で働く人達は奴隷の様な身分の人であったり

   各地から集められ僅かな賃金でこきつかわれたのでしょう  特に古墳のような場合は、期間が済んで故郷の妻子の元え帰る道すすがら

   餓えや病で亡くなる、そんな本をよんだことがあります。  いろいろありますが今の代に生きている私達は結構な有り難いですね)  

 

 

 


続いて歩く、百舌鳥古墳

2014-10-11 16:52:55 | その他

 御陵や古墳を見る場合,周囲を歩いても余りにも大きすぎて、ただ山をみたり 

 麓から森を散策しているような 感じがする  

 今回,高いところからみれば写真のような御陵が見られえるかも  と、 堺市庁舎21階の展望台へ行ってみた

 残念ながら21階のビルからでは 余り変わりがなかった

 将来世界遺産にでもなって 遊覧観光で百舌鳥古墳飛行というものが出来ればいいのだが・・・

 今日のところは 展望台に展示されていた, 絵で我慢しょう

 

   仁徳天皇稜  (大山古墳)                        墳丘の長さ486m

 

 上の森の様な部分が仁徳天皇稜 (大山古墳) その左が履中天皇稜 (石津ヶ丘古墳) 下、手前の大きいのがニサンザイ古墳

 

 展望台からの仁徳陵はこんな感じでした

 

 展望台から北の方向に見える反正天皇稜(田出井山古墳)

 

 反正天皇稜の北側は濠の側は、少しだけ 散策出来ました 墳丘の長さ148m

 

 南側は濠まで住宅になっていて入ることは出来ない。

 

 濠の近くにきれいな彼岸花が咲いていた。

 

  次に行ったところ  履中天皇稜(石津ヶ丘古墳)

 

 我が国で3番目に大きい前方後円墳   墳丘の長さ365m