4/10、毎年訪れる私の誕生日。
そのたった1日のことだけど、世界中の誰かがいろんな意味で必ず何か関わる日。
365日、必ず誰かが何処かで何かを見て感じて、そして想い出として記憶に残る日となる。
私の小・中学校の同級生の男子たちは、当時『さだまさし』さんのファンが大勢居て、同級生も私の中でも、さださんの歌やトークには
心がとても動かされました。
そんな『さだまさし』さんと誕生日が同じということで、以前から嬉しい事のひとつでした
そんなさださんも60歳の還暦を迎えたそうで。
4/10のBirthdayライブ、埼玉スーパーアリーナでは、総勢60名(グループ)のアーティストがお祝いに駆け付け、とても豪華な想い出深いライブだったみたいですね~
そんなライブ、私も行って観たかったな~と思った次第です
でも、こんな私にもいろんな方がお祝いのメールやメッセージやコメントを残して下さり、生まれて来て良かったな~って思います。
誰かが何処かで私の事を心の片隅、頭の片隅で気にかけていてくれているって、とても幸せな事ですね。
本当にありがとうございました
アクアミントさんから朝早く素敵なカードメールが届いたんですが、メールからうまくカードを取り込めなくて、
やっと取り出しましたが字体が少し変化してしまったかもしれません。

あおちゃんからも朝早くメール頂いて、本当に感謝です
きのこちゃんからは、またまた可愛いカードと、手作りシャドーボックス
凄い~

私が、きのこちゃんへ手作りのふわふわマフラーをプレゼントしたからって、私にも手作りでプレゼントしてくれました。
何だか申し訳ないけど、とっても嬉しい
淡い色の素敵な薔薇のシャドーボックス

そして、素敵な春らしいトートバッグ。
本当に素敵な
をありがとう
そしてこの日、少し仕事からの帰りが遅くなったら、自宅には親友から素敵な
が届いていました。

この日は、素敵なお花を囲み、スパークリングワインで乾杯でした。
普段、自分の誕生日になんてご馳走は

今晩のメニューは
友達から頂いた打ち立ての手打ち蕎麦
小松菜と厚揚げの煮びたし
天ぷら
親友からのスパークリングワイン

あとで、また続きを書きます。
アハハ~このあとの続き・・・・・・
将棋を知らない母さんのご想像通り、 「普段自分のお誕生日にご馳走なんて作らないんですよ。。。」です
当たり~(〃'∇'〃)ゝエヘヘ
だけど、この日は、友達から知り合いの方が手打ち蕎麦を打ったそうで、そのお蕎麦を打ち立てで沢山頂いたので、誕生日の夜はお蕎麦でした 
私は麺類が好きなので、手打ち蕎麦なんて高級品。
やはり、乾麺とは全然違います。
コシがありますから。
なので、上の写真の通り、冷蔵庫の中に残っていた『バナバ海老』と『シイタケ』と『ナス』で天ぷらを簡単に揚げて、
小松菜と厚揚げで煮びたしを作って食べたのでした
あと、珍しく、本当に珍しくPAPAからコーチのお財布を貰いました。
黒字になるように、黒色のお財布(笑)
今までもコーチの黒いお財布を使ってましたが、一目でコーチと解らない物ばかり選んで使ってました。
この黒もなかなか素敵なので、早速今使わせて貰ってます
私も自分の誕生日の事は日記には書くつもりがなかったんですが、いつもみんなから頂いたプレゼントや言葉や形を記録として残しておきたくて
書いてます。
だから、タイムリーに載せてないですが、それでも友達もブログ友達もみんな忘れずにメールやメッセージを入れて頂き、本当にありがとうございました。
母からは可愛いテンプレートのメールを貰って、いつも楽しくなります
母からのメールは、必ず可愛いテンプレートで送られてくるので、私の事を常に元気づけようとしてくれてるのかな
可愛いメールを頂くと、自然に元気出て、明るい気持ちになりますものね~

私の中で、今まで出逢った方も、もしかしてこれから出逢う方も、全て含めて、私の人生には必要な方だったから
出逢っているんだと思っています。
本当なら出会いたくなかったと思うような苦手な人と関わらなければならないことや、いい思い出が残らなかった出逢いだって
ありました。
それでもその人と出会ったことで、何かを学び、一人の人間としてステップアップ出来る為に出逢ったんだと思うようにしています。
だから、私が出逢う全ての人は、私にとっては必要且つ必然的な出逢いです。
だからこそ、大切にしていきたいと思っています。
人生をひとつの山に例えたならば、私は既に頂点に登りつめ知らない間に既に下り坂です(笑)
だって、私が100歳生きるなんてあり得ませんから~
100年だとしたら、まだ頂点に届いてませんが、辛うじて
私の人生がどこで終わりになるのか、この歳になれば、もう私は今、下り坂を、もしかしたら猛スピードで下っているのかもしれません。
が・・・・・・
それでも、最期の時に幸せだったと思える人生にしたいと思うようになりました。
昔は死ぬことが凄く怖くて、絶対に考えたくなかったけれど、子どもたちも大きくなって、
私も今まで諦めてきていた事も少しずつ楽しめるようになってきて、
もう少しだけ生かして貰えるなら、笑顔が多い時間を沢山過ごしたいと思ってます。
だから、私の人生が『ここで終わりです』と告げられた時(天からの声かな~ぁ
)
『はい、大丈夫です』と落ち着いて迎えられるような人生にしていかないといけないと思い始めました。
先日、私の誕生日を祝ってくれた友達たちとも話しましたが、たとえば、もしかしたら平均寿命よりも短い人生だったとしても、
悔いがない人生を過ごしていれば
今は素直に最期の時を迎えられるのかもしれないね~なんて、真剣な話もしました。
私の人生も、どうして私だけ
って思うような哀しい事が沢山あって、親を心配させた事が沢山あります。
でも、三人の子どもたちが生まれてきてくれてから、子どもたちとの人生では、とても幸せな時間で、
熱性けいれんという事が心配だった事以外、
私にはとても幸せな時間を過ごしてます。
本当に子供たちには支えられて、3人生まれてくれて良かったと思います。
本当ならここに長女が元気で生きて居てくれたはずだけど、その娘がもしかしたら、子どもたちを護っていてくれてるのかもしれません。
それほど、我が息子たち男ばかりの3人兄弟なのに、兄弟喧嘩は絶対にしないし、取っ組み合いの喧嘩もないし、
今でも長男が帰省すると男3人でお風呂に入ります。
二男も三男も、長男には一目おいていて、長男を慕っています。
私も長男に私の人生を支えて貰っていたんだと感じる事も沢山あります。
だから、哀しい事が沢山あったけど、それによっていい関係も出来ているんだと感じてます。
そうなんですよ、本当に夫婦喧嘩は派手にあっても(笑)兄弟喧嘩は全くなくて、
とてもいい男同士の兄弟で居てくれるのが嬉しいんです。
いつかは私たち親は必ず居なくなります。
だから、残される3人の子どもたちが仲良くしてくれていたら、それが一番幸せな事です。
私の誕生日にはいつも泣かせるようなメールや言葉を必ず言ってくれた長男からの今年のメールは、凄く簡単だったけど、
忘れず居てくれた事が嬉しかった。
だけど、翌日4/11に長男からかかって来た電話で
「悪りー悪りー、仕事が忙しすぎて、4/10ギリギリにメールしたけど、うっかり忘れるところだったよ~ぉ。
あまりに簡単メールだったから電話したわ」
って
「もう、忘れられちゃったと思ったじゃん
」(笑)
って話す、そんな時間が私は好きです
私をこの世に生んでくれた両親に本当に感謝ですm(__)m
でも、心配ばかりさせてごめんなさいm(__)m
何か意味不明な日記になっちゃった。
言いたい事なんとなくでも解って貰える方が居たら、凄く嬉しいです(*^_^*)