ろへ
は
自分ならイラストを描くだけで得意気になってそうだが友人はこんなにも悩んでいる。これは如何に寒くなろうとオヤジギャグを遂行するのは自分だ!とばかり、ダジャレチャレンジを
「これから、うしろめたしで考えてみる」
と宣言して古語帳の『うしろめたし』の意味を調べると
1気がかりだ
2心配だ
うーーーん、こじつけこじつけこじつけこじつけ・・・と念じながら暫く考え・・・ あっ!思いついた内容の
「後ろをみると『四人のメタ』ボリックっぽ
い人達。気がかりだ、心配だ」
い人達。気がかりだ、心配だ」
を早速送信。ダジャレチャレンジ宣言から一分位しか経ってない。自分でも思いの外早く思いついたくらいだったとはいえ時間が掛かる可能性のがあったのだから何十秒間も友人がリアルタイムでスマホ(画面)を見ているかは分からないところ。それより、こじつけダジャレについて自己分析。
こじつけだけあってギャグとして全く面白くない。しかし、それでいいのだ。なにも、文化祭など人前で漫才やります、コントやりますって手を挙げ、演じるわけではない。
これは、古語を覚えるための取り組みで学習意欲の現れかもしれない行為。面白さなど求められない。
それどころか詰まらないほど、くだらないほど、頭に残って暗記し易くなりそう。やはりダジャレという言葉遊びが一対一問題の打開策だ!
って、甘々の自己評価をしたところで、他の古語のこじつけを『うしろめたし』のように思いつけるか分からないところだし、そもそも友人が『うしろめたし』のこじつけ言葉遊びをイラスト化する気になるのかという二点が気になってくる。
前者は実際に取り組む上での課題なので事前に悩むべきことではない。後者は友人の反応を真摯に受け止める覚悟を持っていればいいだろう。というか、あれで絵を描かせることが友人の時間や能力を浪費させる気がしてきて取り下げたい気持ちが沸々と・・・なんてことを送信した画面のまま考えていたら、さっき同様、走り描き風なイラストが貼り付けられてきた。
メタボ体系の方が四名いて、その前を歩く人が後ろを振り返って四人に気付き・・・ってイラスト。『うしろめたし』のこじつけを送ってから数分しか経っていない。それにしてもササっと描いて、うまいなって思う。絵心があるって羨ましい。己の無力を感じたから、貼り付けられたイラストに続いて
Lどうして、こじつけのダジャレが出てくる
の?凄い!T
の?凄い!T
って、お世辞でも嬉しい。
面白い面白くない、出来の良し悪しに関わらず、自ら考えたダジャレを自らイラストにする作業が精神的にしんどい行為なのかもしれない(※古語イラスト少数の一因?)。
一方、他人が考えたダジャレならギャグとしての出来の評価も甘くなり楽な気持ちで描けるのかもしれない。また、取り下げたいと思ったこじつけダジャレも実際、イラストに興してもらうとこんなに嬉しいとは。これこそ分業のメリット!か?改めて、
「自分がダジャレを担当するからイラスト化、
お願いします。」
お願いします。」
ってコメント。
にへつづく
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