お市の方、もう一つの菩提寺 自性院 Vol.2 秀忠公で書いたように、
この菩提寺は徳川家(二代将軍夫妻)のお市の方への供養でなされました。
徳川所縁を示す葵の御紋
先日、自性院を恐る恐る訪れたぶ~たんを驚かせたのは
そこの奥様のおもてなし振り、お茶と駄菓子を小さなお盆で各々に振舞い
「どちらからお越しですか?」と話をして下さいました。
元々冒頭の写真の石碑の紹介しかておらず、知る人ぞ知る史跡。
大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の始まる前の昨年末から訪れる人が増え
初めは「どうしたものか」と、困惑したけれど、迷う方もいるので看板を掲げたそう。
お寺の縁起から上野の寛永寺や福井市で家康を祀った佐佳枝神社との係わり等お聞きしました。
ただ、大河ドラマ以前はほとんどお市の方の菩提寺としてを訪ねてくる人はおらず、
2年に1度くらい織田家の末裔の方々が訪れるくらいだったそうです。
そして、何か所縁(形見)の品がないか訊かれたそうです。
西光寺も自性院のお墓もお二人の遺骨はありません。
あとかたもなく燃え尽きるように爆薬を使ったくらいですからあるわけがありません。
ぶ~たん・・・ピーン
これです、もう一つの菩提寺の答えの2つ目
ここはあくまで織田家の方々の織田信長の妹であるお市の方をしのぶ場所。
お市の方は浅井家から見たら、和平の役にも立たず自家を滅ぼした宿敵織田信長の妹。
子連れで再婚したことで縁は切れています。
柴田家から見たら主君織田信長の妹で、勝家と共に自刃したことで
丁重に弔う気持ちがあったからこそ、勝家と一緒のお墓で弔ったのでしょう。
西光寺 勝家公、お市の方のお墓
だけど織田家から見たら、家臣筋の菩提寺。
家々でお寺が違うからご一緒にというわけにはいかないのかも。
立場が違うと言えば淀の方は両親を滅ぼした側。
天正17年(1589)12月に秀吉に許しを得て
父・浅井長政の十七回忌、母・お市の方の七回忌の追善供養を高野山の持明院で行いました。
その際に奉納したと言われるのが有名な肖像画
淀の方が納得した肖像がですから、さぞや似ているのでしょう。
敵方として滅んだ城主を弔うのは当時としては掟破りで
豊臣家の中での淀の方の権勢を示すとともに、彼女は浅井家の長女としての誇りを感じます。
次女のお初は父長政の菩提を弔うために仏像を作らせ大切にしたとか。
お江が徳川の妻として、織田信長の姪として、織田信長の妹の母を独自に弔うことで
お市の方は浅井家、柴田家の女ではなく、生家、織田家の女。
織田家の末裔にはこだわりがなくお市の方の偲ぶ場所になったように思います。
お市の方が秀吉への投降を拒んだのは勝家公の妻としてよりも、信長の妹の誇りだったのでしょう。
(大河ドラマの大地勝家ファンぶ~たんには、所詮かりそめの義父だったのと残念な感じもします。)
自性院の奥様が、ぽつり「当時の人は可哀想ですね、写真もなにもないから、その方をしのぶ為に御遺骨がなくてもお墓を作り、仏様を作り・・・」
そうですね、そういう時代だからこそ信仰に人々がすがったのかもしれません。
それでも、それぞれの立場で、それぞれに亡き人を悼み供養することで、それぞれの面影を偲んだでしょう。
信長の妹に生まれた宿命に翻弄されながら、織田と浅井の血を徳川に遺したお市の方
今は静かに「江」フィーバーを見守っているでしょう。
戦国の歴史好きの皆さん、福井にお越しの際は
柴田神社、西光寺さんだけでなく是非、如意輪山願慶寺自性院にもお越し下さい。
静かなお寺で優しいおもてなしにしみじみしますよ
如意輪山願慶寺自性院
場 所:福井市西木田2丁目10番21号
拝観時間:午前9時~午後5時
拝 観 料:無料
※あくまで寺院であり観光地ではありません。拝観マナーはお守り下さい。
この菩提寺は徳川家(二代将軍夫妻)のお市の方への供養でなされました。
徳川所縁を示す葵の御紋
先日、自性院を恐る恐る訪れたぶ~たんを驚かせたのは
そこの奥様のおもてなし振り、お茶と駄菓子を小さなお盆で各々に振舞い
「どちらからお越しですか?」と話をして下さいました。
元々冒頭の写真の石碑の紹介しかておらず、知る人ぞ知る史跡。
大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の始まる前の昨年末から訪れる人が増え
初めは「どうしたものか」と、困惑したけれど、迷う方もいるので看板を掲げたそう。
お寺の縁起から上野の寛永寺や福井市で家康を祀った佐佳枝神社との係わり等お聞きしました。
ただ、大河ドラマ以前はほとんどお市の方の菩提寺としてを訪ねてくる人はおらず、
2年に1度くらい織田家の末裔の方々が訪れるくらいだったそうです。
そして、何か所縁(形見)の品がないか訊かれたそうです。
西光寺も自性院のお墓もお二人の遺骨はありません。
あとかたもなく燃え尽きるように爆薬を使ったくらいですからあるわけがありません。
ぶ~たん・・・ピーン
これです、もう一つの菩提寺の答えの2つ目
ここはあくまで織田家の方々の織田信長の妹であるお市の方をしのぶ場所。
お市の方は浅井家から見たら、和平の役にも立たず自家を滅ぼした宿敵織田信長の妹。
子連れで再婚したことで縁は切れています。
柴田家から見たら主君織田信長の妹で、勝家と共に自刃したことで
丁重に弔う気持ちがあったからこそ、勝家と一緒のお墓で弔ったのでしょう。
西光寺 勝家公、お市の方のお墓
だけど織田家から見たら、家臣筋の菩提寺。
家々でお寺が違うからご一緒にというわけにはいかないのかも。
立場が違うと言えば淀の方は両親を滅ぼした側。
天正17年(1589)12月に秀吉に許しを得て
父・浅井長政の十七回忌、母・お市の方の七回忌の追善供養を高野山の持明院で行いました。
その際に奉納したと言われるのが有名な肖像画
淀の方が納得した肖像がですから、さぞや似ているのでしょう。
敵方として滅んだ城主を弔うのは当時としては掟破りで
豊臣家の中での淀の方の権勢を示すとともに、彼女は浅井家の長女としての誇りを感じます。
次女のお初は父長政の菩提を弔うために仏像を作らせ大切にしたとか。
お江が徳川の妻として、織田信長の姪として、織田信長の妹の母を独自に弔うことで
お市の方は浅井家、柴田家の女ではなく、生家、織田家の女。
織田家の末裔にはこだわりがなくお市の方の偲ぶ場所になったように思います。
お市の方が秀吉への投降を拒んだのは勝家公の妻としてよりも、信長の妹の誇りだったのでしょう。
(大河ドラマの大地勝家ファンぶ~たんには、所詮かりそめの義父だったのと残念な感じもします。)
自性院の奥様が、ぽつり「当時の人は可哀想ですね、写真もなにもないから、その方をしのぶ為に御遺骨がなくてもお墓を作り、仏様を作り・・・」
そうですね、そういう時代だからこそ信仰に人々がすがったのかもしれません。
それでも、それぞれの立場で、それぞれに亡き人を悼み供養することで、それぞれの面影を偲んだでしょう。
信長の妹に生まれた宿命に翻弄されながら、織田と浅井の血を徳川に遺したお市の方
今は静かに「江」フィーバーを見守っているでしょう。
戦国の歴史好きの皆さん、福井にお越しの際は
柴田神社、西光寺さんだけでなく是非、如意輪山願慶寺自性院にもお越し下さい。
静かなお寺で優しいおもてなしにしみじみしますよ
如意輪山願慶寺自性院
場 所:福井市西木田2丁目10番21号
拝観時間:午前9時~午後5時
拝 観 料:無料
※あくまで寺院であり観光地ではありません。拝観マナーはお守り下さい。