発見!森のぶ~たん号!

毎日更新を目指しているぶ~たんです。
某社の公式ブロガーに当選を機に、地元密着型のブログをはじめました。

歩くざふくい まちなかの橘曙覧(たちばなのあけみ) Vol.1 藁屋

2011-11-07 14:07:53 | 福井のおススメ
このブログの7月7日に(歩くざふくい 大安禅寺とその周辺Vol.4 橘曙覧

大安禅寺にある橘曙覧の墓所について書きました。

それまでは、元クリントン大統領が在任中の訪日の歓迎パーティのスピーチで

彼の「独楽吟」の一部をスピーチに引用したため有名になった歌人そう認識していました。

ブログに書いたおかげで、もう少し詳しくなり興味が湧きました。

そんな折の 橘曙覧ツアー喜んで参加しました。

前回の案内人は、「語り部の会」の会員さんで郷土歴史のエキスパート

今回の案内人は元書道教師で「橘曙覧記念文学観」の初代会長だった河合清士氏(冒頭の写真の御仁)

歴史家でなく、国語の先生の視点での案内また違った面白いツアーになりました。



スマイルバスを照手町で下りて桜通りの方向へ2、3分歩くと(八木熊さんの後ろ辺り)照手2丁目5-13

幕末の名君松平春嶽公が、橘曙覧と会いに訪れたボロ屋、失礼

もとい藁屋(わらや)跡があります。



狭い敷地に8畳間に4畳半台所位かしら?

ここに夫婦と男の子3人・・・当時の標準家庭の大きさはわかりませんが、

松平春嶽公一行があまりの粗末な暮らしに引いたらしいので、名前にも劣らぬ貧しさだったのでしょう。

(御城主が家臣に取り立てるために行幸するのです、精いっぱい掃除やしつらえをしたはずなのに


ぶ~たんの感激ポイントはここ

当時は水道がないので、毎日妻が水汲みに難儀する姿に掘った井戸「袖干の井」



彼の奥様なを(直子)さんは三国湊海津屋(酒井)清兵衛の次女。

きっとそれなりの暮らしをしていたのに、シラミを友とする生活をするようになるとは思わなかったでしょう。

晩年こそ地元での知識人になりますが若い時は商売に身を入れず遊郭通いに明け暮れ、家族がそれを封じるために嫁を取り

商売に失敗すると隠居生活をするは、国学に走るはモラトリアムを尽くした人

ぶ~たん、そんなを夫人に同情していましたが(「自分の夫ならたまらんぜよ~」と、何故か土佐弁に)

この井戸の存在で、見直しました。



今は枯れて埋められた小さな井戸ですが、どれだけ夫人の労力は軽減されたことか

ん、んんむ

根は優しくて繊細な人だったのでしょうね。(再び「自分の夫ならまっことたまらんぜよ~」と、何故か土佐弁に)

ぶ~たんの中で株価を上げた橘曙覧(たちばなのあけみ)さんの人柄を訪ねて

次は生家跡と子煩悩の証拠の場所へ向かうのです。

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