発見!森のぶ~たん号!

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歩くざふくい 柴田勝家とお市の方 2 西光寺

2010-10-25 16:38:03 | 福井のおススメ
昨日の歩くざ ふくいの 続きです。

柴田神社を出て、歩いて7、8分の西光寺に到着しました。

途中、語り部の田中さん(細かい資料作成もされた方です)に

勝家はこの婚姻さえなければ、秀吉の重臣として生き延びることができたのか?

勝家がお市の婚姻が秀吉との確執を深めて、滅ぶことになったのか?

質問をしました。

答えは、秀吉は清洲会議後すぐに、勝家攻略に向けて陣構えを始めていたので

いずれはぶつかる運命だったようです。

知恵者の秀吉と言う勝ち馬に乗る武将が多くて、形勢不利になるのが見越せたのに、

勝家を頼らざるしかなかったお市と三姉妹の心細さはいかばかりか・・・

ただ、賤ヶ岳の戦いは福井の豪雪、勝ちを急いだ家来(佐久間盛政)の失策、

盟友前田利家親子の裏切りと不運が重なったこともあったそうです。

応仁の乱からの戦国時代は裏切りに次ぐ裏切りを重ねたものが生き延びたようで、

少し、げんなり。

ただ、賤ヶ岳の戦いで毛受兄弟が勝家の証である馬標を持ち、

勝家を敗走させるためおとりになり捕えられ

秀吉に家臣にスカウトされても断り首を捕えた逸話には「男やね」



資料館1階に

さて、西光寺は

福井の偉人 橋本左内さんの墓所でもある左内公園の南側 民家の中にあります。

このお寺は500年以上の歴史があり、もとは福井市次郎丸町にありましたが、

勝家が北の庄城主となり、現在地に移転したそうです。

(聖徳太子御自作伝の聖観音安置されているとはまったく知りませんでした)

お墓は勝家とお市の方が一緒に合祀されています。

天正11年(1583)4月24日が二人の自刃した日ですが、

奇しくも、月命日である10月24日に訪れることができました。


勝家は落城前にここの住職に三姉妹の安全と将来を託し、

遺骸の処理と死後の供養を懇請したそうなので、

自分の死後の後始末まできちんとした立派な武士だったのね

ここの資料館、重要文化財クラスの所蔵品もあります。



毛受兄弟の逸話の馬標と北の庄城天守閣の鬼瓦は大阪城に貸し出されていましたが、

12月には戻ってくるそう。

事務所に申し出れば、10時~3時位までなら見学をさせてもらえます。

毎年命日の4月24日に近い日曜日にお祭りをして二人を慰霊していると聞き、

なんだか、優しい気持ちになりました。

来年の桜が散り果てた頃、訪れてみたいものです。

またまた、長くなってしまいました。

最後まで読んで下さってありがとうございました






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