また雨がちな天気。状況と情報をしっかりみるかぎり大丈夫だとわかっていても、心のどこかで近所の川が気になる。
吉上亮さんの小説「泥の銃弾(上・下)」(新潮文庫)を読んだ。
泥の銃弾 上 (新潮文庫) | |
吉上 亮 | |
新潮社 |
泥の銃弾 下 (新潮文庫) | |
吉上 亮 | |
新潮社 |
舞台は近未来(いやもうほぼ今)だけど、架空の「東京」。
2020年の東京オリンピックを控えている時代が舞台。この「泥の銃弾」のなかでは日本が難民を受け入れたという設定になっている。ほとんどはシリアからの難民。ひょっとしたらほかの地域からも多くの難民を受け入れているのかもしれないけれど、小説のプロットに関わってくるのは中東からの難民たち。
独自のコミュニティを形成したり、独自の文化で生きていたりする。だから当然、日本人とは常識が異なる。ということもひしひしと伝わってくる小説だった。
難民がいるゆえの多文化社会ということは、正直なところ、小説の大筋にあまり関係がない。けれども、背景というか、登場人物を彩る日常生活が、難民とともに描かれていて、なんというか不思議な感じだった。
設定が不思議な、普通の一般的なミステリー小説。都知事が暗殺未遂にあい、その事件をジャーナリストが解決するというストーリー。
途中のかなり早い段階で、犯人はなんとなくわかってしまったけれど、この小説の肝はそこじゃない。難民が、中東の様子が描かれていることがポイントだとおもう。イラクのサダム・フセイン大統領のころから、ISのことまで、時系列に概観されていて、勉強になった。
個人的には、日本にもいつの日か、難民が来るだろうとおもっている。そして場合によっては、あたしたち日本人が難民になる可能性だってあるとおもっている。
難民にならずにすむのはもちろんしあわせだけど、こればっかりは自分では決められない。
政治の話をすると、誰もが難民になる可能性があるからこそ、難民を受け入れるべきだともおもっている。自分たちは難民を受け入れていなかったのに、難民になることになったので受け入れてください、というのはなかなかむしのいい話だからね。
自分らが安定していない発展途上国が多くの難民を受け入れているのは、人道的な理由ももちろんあるだろうけれど、自分たちが難民になる可能性、逆の立場になる可能性もよくわかっているからじゃないかな。と個人的にはおもっている。
そういえば、日本が沈没して、日本人が世界各国に難民にいく漫画読んだな、とふとおもいだす。今このタイミングで思い出すと、なかなかの臨場感。。
自分になじみのない世界だったから、小説を読むのに時間がかなりかかった。
ではまた
東京都豊島区池袋で読書交換会を開催しております。人にあげても差支えがない本を持ち寄り交換する読書会です。
⇒東京読書交換会ウェブサイト
※今後の予定は10月26日(土)夜、11月8日(金)夜です。
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。