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時間の使い方について考えさせられたここ数日だった。
友人のコンサートがあって、とても行きたかったのだけど、やることが多すぎて予定を取りやめてしまった。コンサートの様子がネットに流れてきて、それをみていいなあ、行きたかったなあとおもった。
そして、心の底からおもった。ちょっと待って!! あたし、なんでこんなに貧しいの? と。
時間がほしいとおもった。時間貧乏。
確かにいろいろとやらせていただいているから、忙しくなってしまうのは当たり前にみえるかもしれない。
でも削れる時間ってあるのよね。
漫然とネットを見る時間、嫌だなあとおもいながら、興味がないままにやりとりしたり、おしゃべりしたりする時間。
さらにいうならば「あ、あの人たちに会うのか・・・、お話を聞くと心が暗くなるのよね」と、会う前から悶々としている時間、会っても嫌だったなとわざわざ反芻している時間。
そうすると集中力や心が疲れてしまって、集中力貧乏、気持ち貧乏にもなる。
認めたくないけれど、正直なところ、そういう時間がとても多い。それなのに怖くてそういう場から離れなかったりするときもある。
正確に書くと、少し前からそういうことが気になりだして、少しずつ対策を講じていたから、よけい気になったのかもしれない。
気にし始めたばかりの頃って、理想と現実のギャップが大きいじゃない? あんな感じなのだ。
そう、そして、この文章を書いていて、当然のことながら逆もあるだろうなとおもった。
相手にそう思わせてしまっていることもいっぱいあった(ある)よね。
相性もあるし、今ほど成熟しておらず、心が疲れていたときだってある。
ときにはある場で自分だけなんとなく波長が合わず、遠ざかけられて淋しいなとおもったり、嫌われたと落ち込んだこともあったなあ。
より幅広い人と波長を合わせられたらいいのかもしれないけど、波長が合いにくい出会いはいっぱいある。
世の中、人間はいっぱいいるからね。別の自分と縁がある人と出会い直せばいいことも多い気がする。
大切なのは、縁がなかったんだなとおもって、自分の軸を中心としてまた関係性を求めていけることなんだろうなあ。もちろんずっとのお付き合いもあるけれど、世の中の人間関係でそれほどは多くない。
ただ自分のことを嫌いだと、誰かに離れられときに自己否定の気持ちが強くなってしまってつらいよね。また、嫌だなと思いつつ離れられないのも、自己評価の低さゆえかもしれない。
自身のことを愛していることが大切で、今日もいっぱい自分を癒してあげたいのだー。
現在進行形で、あたし自身が経験中のことなので、多少青臭い部分もあるかもしれません。が、今はそんな風におもっているよという日記でした。
ではまた
◆臼村さおり twitter @saori_u
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