![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/d4/563a9cb7fb71fca7dcc1a4473ccb7707.jpg)
新型コロナウイルスとイベント中止の関係、よくわからなくなっている。
まったくもって個人的なことです。
整合性がとか、社会的に適切とか適切じゃないとかそういう問題ではなく、あたし一個人の解釈や記憶からなるワールドの問題。
以下の文章は先日の読書交換会の後に書いたもの(を一部加筆修正したもの)。
⇒ 読書交換会、無事開催いたしました 言語の美しさを思い出す
9年前の東日本大震災、3・11のころは癒し系の催事(癒されモール)をやっていた。東日本大震災の揺れや被害は甚大で、自身にとって衝撃だった。それと同時に、そのあとの世の中の動きも初めての経験だった。
その日を契機に、社会の空気が変わった。うまくたちまわれず、社会経験があまりなかったこともあり、ボロボロになって結局1年後くらいにイベントをやめた。もう二度とイベントやらないと心に誓った。
しかしながら、チームを組むとなると、貢献できるのがスピリチュアルとイベントくらいなのよね。
一般的に「占い係で~」というわけにもいかず、なし崩し的にイベント係を始めた。
流れ流れて、少しずつイベントをやり、新型コロナウイルスが発生した現在地も、また小さくイベントやらせていただいている自分がいる。
読書交換会はイベントといっても小さなものだし、催事でもないし、全然性格は違う、けれどもイベントはイベント。今回の開催にあたっていろいろと考えさせていただきました。
もくもくアート会についても同じです。
考えていると、今のこと、昔の記憶、混ざってしまっている気がする。どこまで自分の気持ちが敏感に揺れ動くのか、あるいは抵抗するのか、過去の影響がある。
見つめていきたい。
今回の開催に当たっては、開催するのはあるいはやめるのは、あたし一個人の「私怨」ではないか? ということはものすごく見つめた。「以前〇〇だった」ということにこだわっていないかどうか?
※仕返しは違うと思うから。
⇒ 辻村深月「僕のメジャースプーン」、復讐・仕返したい気持ちを見つめる小説
それはないな。今のあたしが判断基準にしているのは「私怨」ではないとおもえるまで、考えた。
今、確実にいえるのは、新型コロナウイルス拡大にまつわる今の状況は、あたしにとっては積み残してきた記憶や思い出に真正面から向き合う機会になっているということ。そんな機会が来るとおもっていなかった。ありがたいです。
気持ちいいわけではない。でも向き合う機会がもらえてうれしい。こんなときが来るとおもっていなかった。喜ぶべき世相じゃないのに、ひとりうれし涙が出てきた。
見つめてまいります。
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。
◆エネルギーサロン・タンタン
~身体の健康と無意識のパワーへ Have a Beautiful Day~