つぶつぶタンタン 臼村さおりの物語

身体の健康と無意識のパワーへ 癒しの旅~Have a Beautiful Day.~

太陽ありがとう、一度小休止させてもらいました

2020-03-23 20:28:13 | 太陽

つぶつぶタンタンに太陽のことを綴るのを楽しみにしています。覚えていることを綴っておきたい。あたしの物語という言葉に甘え、勝手なこと書きます。
どうぞこの場を使わせてください。どうもありがとうございます。

今日は愛猫太陽の火葬の予定だったのですが、変更した。8時30分から葬儀場が開くので、8時30分すぎに電話。25日にしていただいた。

理由は一言でいうと、お別れを満足にできなかったから。ちょっと気分を害することがあり、それをひきずったからというのが一番かな。

ある方に、あたしに近い人たちが気持ちを太陽の死に寄せてくれていることに対して「人間みたい」と(共感というよりは揶揄より)で言われてしまって、さらには、なかったことにしたいと申しますか、思い出したくない感じのご助言が続いてしまったのだ。ネタとして消費もされてしまった。
※あくまでもあたし目線で解釈すればという意味です。

あたしにとって猫は家族だけど、世の中そうじゃない方もいる。そしてそれが悪いというつもりもない(本当は少しはいいたいけど、それは多様性だわかっている)。

以前から??とおもうことはあった。知っていた。やっぱりなという感じで、そして自分がおもっていたよりも若干強烈だったのと、あとあたしに多様性を尊重する余裕がなかったので、大きくとらえてしまったのでしょう。距離の取り方、勉強させていただきました。

そもそも、家族に対する感情も多様性でしょう。

気分を害した状態を引きずってしまって、その状態で太陽とのお別れに気持ちをフォーカスできず。

それでも最後だからと明け方に抱きついてフォーカスしようとするたびに、もう1匹の猫が鳴く。「淋しい、かまって、僕はここにいるよ」と。自分から気持ちが離れているのがわかるのでしょうね。

それを余裕のないあたしは、「邪魔しないでほしい」とおもってしまったり、イライラしてしまい。。。いやいや、それはあたしが生きたい生き方と気持ちが違うとおもった。

だから延期することにしたのでした。母は太陽の遺体をきれいに保ってあげたいとおもっていて、だからがっかりするだろうとおもったし、ペット用の炉は(おそらく)ひとつくらいだから火葬場やほかの方に申し訳ないと思ったけど、今日にしたらしあわせじゃないし、絶対後悔するなと。

後悔はしながら生きていく心づもりだけど、でもこれはしたい後悔じゃないし、しないようにできる後悔だから。


やっぱり延期してよかったとおもいながら、この文章を書いている。

怒るほどに気分を害したのは久しぶり。少なく見積もっても令和になってから初めて。

めったに腹を立てません。なんか立たないのです。

今すぐに思い出せるのは、6年近く前に、我が家に来たての太陽が脱走して捜索していたときに、人に言われたセリフに腹が立ってしまったことがある気がする(腹を立てている場合じゃないから、とにかく行動し続けたけど)。となると、太陽はあたしにとってとても大切な存在だったのだろうな。

腹が立たないのは、怒ることに価値を感じていないのもあるけど、きっと精一杯生きていないからという側面も少しはあるだろうとおもっていて、だから太陽には、あたしに一生懸命生きさせてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。


太陽が亡くなったとき、自分にとって大切でないことに心を使わない。大切にしたいものに気持ちを注ぐ、自分にとって心をかけたいことを意識すると決めた。なのに、、、また同じことやってしまった。と思い出して、冷静になりました。また似たようなことをやってしまうかもしれないけど、そのたびに思い出したい。


今日は電子ピアノを処分しました。と申しますか処分していただきました。「あ、処分に来てくれているな」と物音でおもっていて、でも滞在時間が一瞬だったからひとまずの相談なのだろうとおもっていて、でも起きたらすでに消えていた。ありがとうございます。

この電子ピアノは2年ほど前に、拾ったものでした。ほしいなとおもっていたら、ちょうどあったのです。
やりたいように つぶつぶ

結局ほとんど弾かなかった。

太陽が入院したとき、できるだけやめられることは停止しようと、週末もくもくアート会とホリスティックヘルス塾を中止。その中止を終えた作業を終えた後、まもなく結局亡くなってしまったけれど、やめてよかったとおもっている。

亡くなった後に、手放せるものは手放そうとおもっていて、そのときにおもったのが電子ピアノでした。年末に4月から電子ピアノの処分が有料になるとお知らせが来て、そのときは捨てたくない気持ちが強く、物置になっていたピアノの上を掃除して、布をかけたりしたけど、、結局弾かなかったな。


この電子ピアノについては、あたしとの出会いという意味では、ほしいとおもったときに宇宙からやってきたということが大切ななんだとおもっている。

まだ太陽が血栓症になる前の話で、もっともあたしたちが把握していないだけで、すでに心臓病はあったわけだけど、なんというか、いろいろどこから布石だったんだろうな、どれがスイッチなんだろう、布石でレールがあったのだろうとおもうと、

切ない、哀しい。同時に、太陽が死んだことを既成事実として受け止めている今は、感謝の気持ちもこみあげてくる。

血栓症になったのはピアノのあとだったのか。ひとりで外を出歩いていた時もあって、一緒に散歩していたのは最近の話なんだね。なんだかずっと一緒に散歩していた気がしてしまうよ。

太陽、ありがとう。

臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。

エネルギーサロン・タンタン
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