3連休の中日、みなさまのんびりお過ごしでしょうか。書きたいとおもっていた、読んだ本の感想をひたすら書いている。昨日から4冊書いて、これで5冊目。これで一区切り。こんなに書いていて、我ながらびっくりしている。書くのがけっこう好きなんだろうな。
貫井徳郎著「神のふたつの貌」(文春文庫)を読んだ。
神のふたつの貌 (文春文庫) | |
貫井 徳郎 | |
文藝春秋 |
貫井徳郎さんの本は「私に似た人」「慟哭」「愚行録」「悪党たちは千里を走る」に次いで5冊目。今回も面白かった。面白かったけれど、マイナンバーワンは初めに読んだ「私に似た人」だな。あまりに衝撃だったからもう一度あの衝撃を味わいたいたくて、貫井本を物色しているよ。
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さて
「神のふたつの貌」は、ある街のプロテスタント系キリスト教の牧師が主人公。祖父・父・息子と世襲で同じ教会の牧師をしている。日本ではマイナーなキリスト教だけれど、この本のなかでは街の人はみな教会に行くのが自然という設定になっている。
牧師でありながら、神の存在を感じることができないことを悩む牧師。そんな牧師と、それを取り巻く人たちの人生が細かい目の編み物のように丹念に描かれている。
最初から最後まで楽しく読んだけれど、正直なところ、あまりこの小説の醍醐味を理解できていない気がする。
日本語が心地よいから、物語の世界に身をゆだねてしまうのだけれど、物語のなかで錯綜する親子三代がところどころ区別できなかった。あとメインの主人公(父)が肉体的に痛みの感覚がない、無痛症という設定になっている意義を味わいきれていない気がする。牧師だけれど信者の心の痛みをわかるとは限らないということの比喩なのかな。またいつかこの小説を読んだら、そのときはわかるかもしれない。
今回は、小説のなかで気になる文章があり、その文章の印象が強く今でも残っている。
神など信じられなくていい。神の愛など一度として感じたことがなかった。それが信仰心の不足のせいだと咎められても、郁代は耳を貸す気はない。もし信じることで心の平安を得られるのだとしたら、それは神が与えてくるものではなく、自らの信仰がもたらすものだ。神が存在しなくても郁代はいっこうに困らない。
しかし早乙女牧師を信じられないなら、確実に我が身に不幸を呼び寄せる。かろうじて得た光明を、進んで捨て去るに等しい。だから郁代は、牧師が神を信じろというなら、そのまま鵜呑みにしていればいいのだ。神の存在を疑っていても、神の仮借のなさを憎んでいても、牧師だけは受け入れなければならない。信仰とは自らの地位を奴隷の地位に置くことだとようやく悟る。
という文章。郁子とは信者の女性だよ。
小説の主題のひとつな気がしている。ただあたしにとっては、今のところ小説という物語より、この一節そのものののほうが胸に響いた。
きっと牧師も神の奴隷だった。
誰かの奴隷になるという行為はこの現代社会ではとても不自然。だから自身を何かの奴隷(何かに絶対的に付き従う存在)と規定すると、誰かを自身の奴隷として扱うことになる。
何かをあがめる人は、何かを見下す。劣等感だけの人、優越感だけの人というのは存在しなくて、劣等感(優越感)が強ければ強いほど、その逆である優越感(劣等感)も強いんだよね、とあたしはおもっているよー、もちろん自戒を込めてね。
牧師は信者に対して時には神の役割を担い、そして子どもの頃は動物に対してそのような役割を担っていたのかもね。
「神の存在を疑っていても、神の仮借のなさを憎んでいても、牧師だけは受け入れなければならない」というのは、あたしたちも似ているかなと思った。
誰かが亡くなると葬儀を営む。ほとんどの日本人が仏式だろうけど、仏教に帰依しているかというとそうでもないよね。けれどもお経を上げて死者を弔ってくれる住職を信じる。そして感謝する。信じないと死を受け入れられない部分もある。
うん。若いときはこういうのがすごい嫌だった。まさに奴隷になるとおもっていた。とんがっていてスイマセン。
誰のときか失念しているのだけど、、お寺で法要を営んでいるとき、自分の焼香だけして離席して帰宅したことがある。お寺まで徒歩3分という距離もあって気軽にやってしまった。・・・若かった。こういうのを黒歴史っていうのかもしれないね。
今はやらない。なぜなら自分の自我を守ることよりも、死者を悼んでいる人の気持ちに寄り添いたいから。
また自分の自我は、こうやってとんがることではなく、ほかで護るもんだなともおもっているよ。
ではまた
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