スマホの液晶画面が割れた。
何度落としても割れないから、どうやったら割れるのかずっと不思議だった。本当に割れるのね。一度割ってみたかったけど、いざ本当に割れると面倒でうれしくないな。
本の感想を書く。
恩田陸さんの小説「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎)を読んだ。
蜜蜂と遠雷 | |
恩田 陸 | |
幻冬舎 |
文庫版もすでは発売されているなか、いまさらのハードカバー。ずいぶん前に購入したにもかかわらず、貸しているうちにすっかり年月が経ってしまった。きっと今があたしの読みごろなんだとおもうことにするー。
実際のところ、購入した当初、、、少し読んで、うっかりと最終ページを読んでしまい、小説を読み進めるモチベーションが下がっておった。
※最終ページにはコンクールの結果一覧が載っておりますので、今から読む方は最終ページを先に読まないようにご注意ください。
そしてすばらしいことに(おそろしいことに?)、本を貸している年月の間に、コンクール結果一覧の順位をすっかり忘れたのだった。
だからとても新鮮な気持ちで読んだ。
面白かったー!!! かなりの長編だけど、飽きずに一気読んでしまったよ。
「蜜蜂の遠雷」の舞台はあるピアノコンクール。世界各地からピアニストの卵が集ってくる。そのコンクール前、予選、そして本選が終わるまでが綴られている。
主人公は、コンクールにエントリーしているピアニストたち。ひとりに焦点を当てるのではなく、さまざまな背景を背負う複数のピアニストが描かれている。彼らひとりひとりが主人公。読者の多くは、きっと 誰か に共感する気がする。
そして読むときによって、誰に共感するか変わるのかもしれない。
ピアノコンクールとは、当たり前だけど音楽のコンクール。つまりは目に見えない音がテーマになる。文章で音を表現されても感情移入できない気がする。ピアノの演奏というよりは、人間関係が綴られているのか?
とおもいきや、ピアノの演奏風景が延々と綴られていた。まさに、延々と、延々と延々と。コンクールでは多くの曲が演奏され、ひとりあたり数十分も演奏する。それが延々と延々と。
ひとつひとつがどういうふうに聞こえるか、奏者がどういう気持ちで演奏しているか、綴られている。
実際に音楽が聞こえてくるわけではない。そしてあたしについては、ほとんどのクラシック音楽の名称と音が一致しない。耳にしたことがある曲だったとしても名称からはその音を連想できない。
にもかかわらず、音の話を楽しく読めた。
「音」を「楽しむ」と書いて音楽なら、この本の文章だって音楽だよね、だって楽しんだもん。
さすが直木賞と本屋大賞をダブル受賞した小説。やっぱりすごい。
クラシック音楽のことがあまりわからないのに楽しめたこともあり、前よりもクラシック音楽が少し身近になったのだ。もともとクラシック音楽は好きで、一番好きな音楽のジャンルはクラシック。
とはいえ、曲名や作曲家名を知らないこともあり、なんとなく好きとはいってはいけないような妙な引け目を感じていた。その引け目がずいぶん軽減された。
またいつの日か、もう一度読んでみたい。そのときはどこに共感するのだろう。
そして「そのころまでにはもう少し曲名と音が一致するようになっていればいいな」とこりもせずおもっているのだった。
ではまた
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