読書日記。道尾秀介さんの小説「ラットマン」(光文社文庫)を読んだ。
ラットマン (光文社文庫) | |
道尾 秀介 | |
光文社 |
とても面白かった。
タイトルになっている「ラットマン」とはネズミ男。
小説にネズミ男が登場するわけではない。ネズミ男の似顔絵の話が出てくる。ネズミ男の似顔絵は、ネズミの絵がいっぱいのところに置くとネズミに見えるけれど、人間の顔がいっぱい描かれた中に置くと人間に見える、という話。
心理学でいうところの文脈効果で、前後の文脈に沿って、人は目の前の事象を解釈する。だから同じものをみていても、人によって見ているものが違う。
うん、これこそ小説「ラットマン」の中で描かれていることといってもいいでしょう。
小説に登場するのは、一緒にバンドを組んでいる仲間たち。そのコミュニティである人物が殺される。「犯人は誰?」というミステリー小説だよ。
お互いがお互いを勝手な思い込みで疑い、勝手な思い込みでかばいあい、事件が複雑になる。最後は、、、時間は戻せない、、、戻せないのだけれども少し希望を感じさせてくれる。そんな終わり方になっている。
道尾秀介さんの小説は、人間の弱さに寛容な気がしている。その弱いなかにも優しさがあり、相手の優しさには多くの場合気づかない。
小説の内容や綴られている出来事は、誤解を恐れずに書くならば、登場人物本人以外にとっては興味のない些細なことかもしれない。けれどもあたしたち人間というのはその些細なことの塊からできているし、些細なことだからこだわる。
それぞれの嗜好であり、それがどんな形であれ、ある意味生きる楽しみなんだよね。
政変が起きようと、遠く離れた世界で社会的に意義のあることが起ころうとそれによってあたしたちの心が大きく揺り動かされたりすることは少ない。
むしろ身近にあるちょっとした人間関係だったり、自身の習慣にかかわることのほうが、殺人事件さえ引き起こす。
そしてあたしたちはみな身近な人には優しいから、自分なりの正義で相手をかばおうとする。けれどもそれすら相手にとっては大きな勘違いとなることもある。
綴られているのは些細なことの連続で、人によってはちょっと冗長だとおもうかもしれない。あたしも少しおもった。けれども、道尾秀介さんの構成力を知っているから、ちょっと退屈でも絶対伏線になるはずと目を皿にして読んだのだ。
そして期待どおり。読み終えると、ああこうやってお互いに勘違いしているんだなあということがよくわかった。
…あたし自身もこういうこといっぱいやっているんだろうな。
道尾秀介さんの小説には、そんななかにも愛というか救いがある気がしていて、そこが好きなのだ。
「向日葵の咲かない夏」「骸の夏」「カラスの親指」「透明カメレオン」「光媒の花」に次いで、読んだのは6冊目だった。
⇒読書日記:道尾秀介著『骸の爪』 閉鎖された環境
⇒本の感想:道尾秀介『カラスの親指』 非日常設定の日常はマジック、それとも詐欺?
⇒道尾秀介さん「光媒の花」(集英社) 読書感想
どれもよかった。今回もよかった。
ではまた
月2回、東京都豊島区池袋で、読書交換会をやっています。人にあげても差支えがない本を持ち寄り交換する読書会です。
⇒東京読書交換会ウェブサイト
※今後の予定は8月9日(金)夜、8月24日(土)夜です。
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。