セルフイメージ、自己肯定感を起点として自身のあり方を見つめなおすことが続いています。
今のあたしに必要な学びだからでしょう、ことあるごとに考えています。ああそうだったのかと自身のなかで気づきが誘発されて、癒されている思い出もいくつかあります。
今日はセルフイメージが低いとこうなってしまうこともあるという、ひとつの例として、あたし自身に起こった出来事を書いてみたいとおもいます。
昔、踊っていた時期がありました。踊ることに憧れがあり、けれども運動は苦手で、子どもの頃からダンスを習っていたわけでもない。
何度かクラシックバレエを習ったこともありました。
そしてこれは、即興ダンスをしていた時の話です。ある方のご縁で即興で踊るようになりました。その方はみなに評価されている方で、またみなにダンスを教えるサークルを主催してくださっていました。
あたしもありがたくそこのメンバーに加えていただき、学びました。そこのメンバーのひとりが病に倒れ、手術をすることになりました。
主宰の方に、エネルギー療法を依頼され、わたしはそのメンバーのエネルギー調整(ヒーリング)をしました。主宰の方はメンバーと直接コミュニケーションをとってほしかったそうなのですが、あたしは原則として依頼をくださった方としかやり取りをしません。
そのことが逆鱗に触れてしまう結果になりました。当時はSNSが使われ出したころだったのですが、コメント欄で誹謗中傷されました。第三者が読んでも、え?と思う感じだったので、本当に怒らせてしまったのだとおもう。
お見舞いに行きたいとおもっていたところだったので、そのメンバーのお見舞いに行き、事情を説明しました。彼女はわたしに気を使ってくださったのもあるかもしれませんが「エネルギーが届いていたから〇〇だったんだね」「麻酔からさめるのが早かったんだよ」など様々な話を共有してくれました。友人としても楽しい会話をして帰宅しました。
するとその夜、あるいは翌日だったかもしれません。主宰の方からメッセージが届きました。
彼女があたしのことをとても恨んでいるという内容でした。詳細は忘れてしまったのですが、苦しくてうわごとで、うなされがならあたしのことを怒っているとか、体調がまったく回復せず大変な状態だ、などそのような内容。
え?どうしたんだろう、あたし何か勘違いしたのかな…とおもいつつ、うるおぼえなのですが
「ちょうどお見舞いに行ってきたところでお元気そうでした。どこかで情報の行き違いがある気がしているのですが」という内容に返信をしたところ。
「お見舞いに行ってくださったのですね、よかったです、どうもありがとうございます」みたいな返信が来て、この件はそれっきりになりました。
そして次の稽古に行ったとき、主宰の方からは視線を逸らされ、ほぼ口をきいてもらえない状態。
それが最後となり、以後連絡は取りませんでした。
今おもうと、SNSで攻撃されてしまったことも、メッセージで非難されたことも、あたしが自身を責めるポイントではない気がします。
けれども、自己肯定感が低いとこういうとき、自分が悪い、自分がこんな人間だからだとおもいます。あたしもそうでした。
今だったら、人間関係どちらか一方に問題があることは稀で、両方だろうとおもうでしょう。
(そしてこの件については、この問題が誘発する前に、いろいろな積み重ねがあったのでしょうね。)
あるいは、パワハラ、DVなどのように、とにかく離れたほうがよかったのかもしれません。
特にこの件は敵意を持たれてしまったか、支配しようとしているか、混乱された方なのかのいずれかでしょう。
結果として離れたのですが…。
うん、離れたのはよかった。
けれどもここでもう一つ問題が、ダンスそのもの、踊ることそのものが怖くなってしまったのです。あの人にはじかれたということは、もうどこにも居場所がないだろうなという発想です。
また自己肯定感が低いと、自分が踊るという行為そのものを否定することにつながります。あたしの場合はおもいっきりそうだったなあ。
このところ書いているように、自滅していくのです。
今この記事を書きながら、「ああ、あれも自滅パターンだ」と思い出したものもあります。今のところ書く予定はないです。
セルフイメージ、自己肯定感が安定していないと、何をやっても自滅に陥りやすくなってしまう。一昨日綴った絵画の話もそうです。
⇒ 自己肯定感と自滅の関係。
みなさんはいかがでしょう?
あたし自身は、今この場に書かせていただくことによって、ちょっと浄化されました。この話はたぶん誰にもしていないです。どうもありがとうございます。
また話さない動機もね、「相手を暗い気持ちにさせたくない」「一緒の時間を楽しみたい」ならいいのだけど、「自分が悪いから恥ずかしく話せない」「巻き込まれたらいやだから近づかないようにしよう」「こんなことが起こるなんて、やっぱりさおりはダメなひとだ」とおもわれるのが怖くて話さなかった。そうやって経験した時間だけではなく、そのあとも自己肯定感が低くすることが何度も自身の中で繰り返されます。
この文章が誰かの心に響くならこういう経験をしてよかったなとおもえるけれど、でも経験していないほうがもっとうれしい。あたしみたいなことになっていなければいいなと心の底からおもいます。
しばらくセルフイメージを起点に考える旅が続きそうです。
今日もあなたにとってよい日でありますように。あたしにとってよい日でありますように。地球にとってよい日でありますように。
どうもありがとうございました。
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。
◆エネルギーサロン・タンタン
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