つぶつぶタンタン 臼村さおりの物語

身体の健康と無意識のパワーへ 癒しの旅~Have a Beautiful Day.~

今日は猫蓮ちゃんの四十九日です 後編

2020-06-16 23:19:58 | 太陽

猫たちとの思い出をつづります。記憶は薄れていくものだから、忘れないように、思い出すたびに綴っていこうと思っています。どうぞここに置かせてください。
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今日は蓮ちゃんの四十九日です。ずっと一緒だったから死ぬのでさえ現実感がなかったのに、亡くなってから四十九日も経ってしまいました。人生は切ない。

太陽君と蓮ちゃんがいなくなったのはとても淋しいです。ありえないです。2匹のいのちを返してくれるならたいていのものと交換します。

とはいえ、ある事実があって、あたしは太陽と蓮が亡くなってからのほうが自分自身のことを好きです。太陽君と蓮ちゃんの死を契機に自身を見つめ、結果的にそう考えられるようになりました。


自分を自分で好きな感覚というのは気持ちがよいですね。

かつても何度かそうおもったことがあるのですが、この自己評価というものは、程度の差こそあれ、だれもが終生持ち続けるテーマなんだとおもう。ほかの人にとってはどの程度かわからないけれど、あたしにとっては大きなテーマです。

自分を自分で好きでいられるのはとてもありがたく、うれしい。うれしいけれど、もし2匹の命を返すから、この好きな気持ちも以前の状態に戻ると言われたら、以前のような、今よりも相対的に自分に対してストレスを感じている状態に喜んで戻るよ。

だけどそれは残念ながらかなわない。


だから、できることを、自分が受け入れられる気持ちを大切にしてまいります。


まず太陽君が亡くなったあとに、少ししてそうおもいました。なんといったって太陽君が一緒にいたいとおもってくれたんだからと考えだしたのがスタートでした。そのことについては、綴ったのは覚えているのだけれど、詳細をよく覚えていません。ただ駅からの自宅までの道を歩いているときに、ふとおもった。

確か自分で自分を否定しているということに気づいたんじゃないかな。今覚えていなくても、元の状態に戻ってしまったわけではないとおもう。多少は戻ったかもだけど、解放された部分もあるはず。ただなんというか自身のコアな部分と融合して、自分の血肉というか一部になってしまうと、もはや「以前から、最初からそうだった気になっている」感じで、認識できないのだとおもう。

そのときの道は覚えているんだけどな。いつかまた自分で書いた文章を読み直します。

蓮ちゃんについては、これからまた深く見つめる機会があるとおもうし、積極的につくっていきたい。

まずは今は現時点でのことを書きます。

これはあたしの勝手な言い分なのだけど、蓮ちゃんに強制給餌しているとき、ふとメッセージが聞こえたことがありました。クリティカルリキッドをシリンジで飲ませるようになっているときの話で、蓮ちゃんはかなり限界でした。亡くなるときからそんなに離れていないとおもう。自分の感覚だと、2日前くらい。
そのとき、2回の給餌で連続そういうことがあり、強制給餌というしんどい時間なのに、なんでこんな癒しのときになっているのだろうと思っていたのを覚えています。

ふと、何を気にしているの? 好きにやればいいんだよ。もっと自由でいいんだよ、とメッセージが来た。


蓮ちゃんは甘えん坊で、保護されることを望み、ちょっとしたプチパニックになることもあり、孤独が苦手で、癒しを求めている。そんな猫でした。

だから、あれ、蓮ちゃん? 本当に蓮ちゃん。蓮ちゃんじゃないみたい。猫が変わったというか、達観してしまって、包み込むようになっていて、どうしたの、どうしちゃったんだろう。

とおもいました。

あたしにとって蓮ちゃんはかわいい猫なのです。いまでもそれは変わらない。かわいい、本当にかわいい猫。

でも、あのメッセージはやっぱり、蓮ちゃんの魂だったとおもっています。

書くかどうか迷っていたけど、あたしの忘却力がものすごくて、忘れたくないから書くことにしました。


蓮ちゃんありがとう。蓮ちゃんは、一緒にいてくれて。やってきてくれたんだよね。

あんなつらい状況で、無理強いされていて、自分のことはさておき、突然ひとり悟ったような達観したような、優しいこと言いだした。

ありがたいし、聞けてよかったと思うし、うれしいけれど、

それよりも一緒に生きていてくれたほうがうれしいんだけれど。しかたがないですね。ありがとうね。


あのとき、蓮は死ぬことを決めたのかもなとおもっていました。受け入れられるかどうかは別だけど、おもいました。


孤独にされるのが苦手で、お風呂場のドアを閉めて入浴していると「ひとりにされた」と大声で鳴いて探しに来るような猫だった。外にいて家に入りたいときも、大声でパニックのように鳴く猫だった。あまり音量を調整できないみたいで、声は大きいことが多かった。
とにかく甘えるのが好きでいつもゴロゴロ言っていた。

そんな猫なのにな。もう、先に死なないでよ。

猫も人間も死ぬときはひとりだし、魂は達観しているって本当なのかもしれないです。


蓮ちゃんの四十九日。これからも一緒だけど四十九日は一度だから、今日、蓮のことを考えながら過ごせてよかったです。

ありがとうございました。

臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。

エネルギーサロン・タンタン
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