引き続き、荒木スミシさんの小説、青春トリコロールシリーズの2冊目、青。
「チョコレート・ヘヴン・ミント」の感想。
1冊目、赤の感想はこちら。
⇒荒木スミシ「グッバイ・チョコレート・へヴン」、21世紀初頭の哲学的な小説
チョコレート・ヘヴン・ミント (幻冬舎文庫) | |
荒木 スミシ | |
幻冬舎 |
主人公はダブルの男子高校生。父はブラジル系アメリカ人、母は日本人というダブル。つまりはいわゆるハーフ。本人はダブルと呼ばれたい気持ちが強い。
そしてこの小説を読んでその気持ちがよくわかったし、実際、ハーフって失礼だな、うんダブルだと思って生きてほしいなとおもった。
ハートの方たちがダブルと呼ばれたがっているというのを知ったのは最近な気がする。この小説が出版されたのは2001年なのに・・・ずいぶん無知だったなあ。
しかも、ダブルという言葉は知識として知っていたけど、ダブルと呼ばれたい気持ちに共感したのは、今回が初めてかもしれない。
主人公の妹マユと主人公の恋人のメイサは、トリコロール赤「グッバイ・チョコレート・ヘヴン」にも登場していた。連作小説だからどこか重なっているんだね。
テーマは思春期におけるセクシャリティ。主人公や彼の周りの女性のセックス感、中世的な存在から女性へとなっていく女性。彼らの心境が綴られている。
そして水がモチーフになっている。小説内では、多くの女性が水まわりで失踪している。どうも水の中に溶けてしまうみたい。ある人はバスタブの底が抜けて水の中に落ちていったとか。どうやらその水の中はとても心地がよく、彼女たちは気にいっているみたい。
そんななか、主人公とプラトニックラブの関係にあった女性が、溺死しかかったり、水の事件に巻き込まれたり、妹は水中眼鏡をかけて生活していたり、未来の恋人が別の男性の子どもを堕胎したり。
主人公のまわりでいろいろなことが群像劇のようにおこる。特徴的なのは主人公以外の主要な登場人物がすべて女性ということ。彼が自身を確立していく物語なのかもしれない。
まさに夢のような小説だった。なんとなく物語世界を泳いでいる間は気持ちよかったけれど、いざ現実に戻ってくると夢をみていた感じ。死や堕胎など生命に直結する話が出てくるのに、夢のようでもあり、なんだか不思議な世界だった。
作家自身のあとがきによると
「この小説にはすべての女性への花束いっぱいのアイロニーと、すべての男性へのささやかなシンパシーが込められています」とのこと。
うーわからない。もう少しリアルタイムで読みたかった。
「グッバイ・チョコレート・ヘヴン同様、音楽の区切れになぞらえた記述が出てくる。「停止ボタン」「フォワード」そして「再生」。
MDプレーヤー時代の話。コピー可能な媒体を再生したり、繰り返したり、停止したり。人生もそれに基づいて考えていたのかもしれない。今のネット社会だとそういう考え方しない。
あたし自身、MDプレーヤーを使っていたことはあるけれど、当時どういう価値観だったのか思い出せない。あたしたちの考え方は、おそろしいほどテクノロジーの影響を受けているね。
逆に言うと、いまいうじうじ考えていることも、10年後、20年後に振り返ったら、なんで悩んでいたのかすらわからなくなっているのかもなとおもったよ。
ではまた
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