まだ3冊目だけど、今一番気になる作家、貫井徳郎さん。
貫井徳郎著「愚行録」 (創元推理文庫)を読んだ。
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愚行録 |
向井康介 | |
メーカー情報なし |
数か月前、目当ての小説家の棚にたまたま貫井徳郎さんの「私に似た人」が入っていた。知らない小説家だったのだけれど、ジャケットが気に入ったこともあり、読んでみることしたら、衝撃だった。
(あらためて眺めてみると、そのときは認識していなかったけれど、貫井さんの小説は何度か読書交換会に登場している気がする。ジャケットに見覚えがある。)
数か月前に読書交換会で「私に似た人」を絶賛したところ、「慟哭」を勧められた。
⇒貫井徳郎著「慟哭」(創元社推理文庫)、読書感想 個人に潜む闇
「愚行録」は、ある一家惨殺事件について本を執筆したいライターが、被害者をよく知る人にインタビューするという形式で綴られている。
読んでいて、「なるほどなー、そういう世界もあるのかな」とちょっとしたのぞき見趣味で楽しめるところもある。
が、原則楽しい小説ではない。。。
取材を受ける人物が語るのは、だいたい誰かの悪口。ひたすらに語る。
被害者についての悪口のときもあれば、被害者の周りにいた人についてのときもある。いずれにせよあまり褒めない。褒めるときは、その対極にけなされる存在がいる。
実際にやられたら距離を置いちゃうかも。だけど小説で読んでいると読めてしまう。
ひとりひとりの語りが適度な長さなのと、あと真剣に読まなくても大丈夫だったり、本を閉じたければいつでも閉じられるから、要は逃げ道があるからだろうね。
それとあたしに限って言えば、人に興味があるし、仕事柄いろいろな背景の人が知りたいから、観察として参考になる。
印象深かったのは、個人個人で、記憶の流さが伸び縮みするということ。
これは頭ではわかっていても、同じ一つの出来事を通してという意味では実生活で実感するのが難しい。
それぞれ伸び縮みすることも、同じ出来事に複数の人が自分自身の温度感のみでぶつかることも、人間関係のトラブルの原因になるよね。
もうすっかり過去のことにしてしまっている人もいれば、今でもそのときの感情が残っている人もいる。
ある人にとっては過去でも、ある人にとっては続いている現在。重みはいくらでも変化するし、記憶の世界でも、日常のなかでも、その人の占める割合は変わる。
と書くと、偉そうだけれども、あたし自身も、この小説のおかげでいくつか記憶を見つめ直したよ(詳細は割愛)。
ある出来事やある人には思い出を引きづっていたり、宝物だったり、逆にトラウマだったりする。けれども相手は忘れているでしょう。
恨むのではなく、だからもういいんだなと思える自分でありたいね。
同質療法みたいな小説なのかもしれない。
ホメオパシー(漢字表記では同質療法[1]、同種療法、独: Homöopathie、英: homeopathy, homoeopathy、homœopathy)とは、「その病気や症状を起こしうる薬(や物)を使って、その病気や症状を治すことができる」という原理のもと、1796年にザムエル・ハーネマンが提唱した。またホメオパティとドイツ語風に呼ばれることもある。
これはすべての記憶にいえることだとおもっている。
ではまたー
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