愛猫蓮ちゃんの話を書く。
蓮ちゃんが亡くなってから5日。淋しい、淋しいよ。体調不良だった数週間、そして1月に蓮ちゃん用のこたつが来てからずっとではなかったけれど、よく一緒に眠っていた。
一緒にいるのが自然でいないと不思議な気がする。こたつが来てからはいつもじゃなくて、「ああ愛じゃなくてあったかさだったのね」とおもったけれど、だけど毎日少しは添い寝していたし、突然孤独に耐えられなくなってやってきた。
こたつはあたしの仕事部屋においてあるので、終了して引き上げると蓮ちゃんもいつの間にかやってくることもあったし。甘えたいときは一緒に眠りましょうと、誘われることもあった。
こたつが来てからは一晩中ではなくなったけど、眠る前は必ず誘うようにしていた。なんというか誘ってもらうことが大切だろうなとおもったし、太陽くんとは散歩に行っていたからどうしても蓮ちゃんよりも太陽君と一緒にいたり、注意をかけたりしている時間が長くなるからね。
うるさいほどゴロゴロと喉を鳴らす猫だった。「眠れないよ」と思うレベル。あと原則いつも爪が出ているのに人の体に爪をたてて甘えてくるので痛い。
それでも最期の数日はゴロゴロ言わなかった。苦しかったんだろうね、しんどかったんだろうね、ごめんね。
あたしは昼過ぎまで眠っていることが多かったので、午前中に鳴きながらやってきて、一緒に少し眠って、また去っていくこともあったなあ。
部屋の窓からよく出入りしていました。声が大きく入れてもらえるまで鳴いている。
齢取ってからは外に出る時間が短くなっていたけれど、それでも元気に出かけていました。今年の冬からは、寒さもあり、家の中のトイレを積極的に使っていたけれど、原則いつも外トイレが好きだった。
数年前から〇前脚に水が溜まってしまい、片足を引きづるようにして歩いていることもあった。これは母の猫ヨガのおかげで、普通に歩けるようになった。水はあるけれど普通に歩ける。けれどもときどきしんどそうになった。そのときは集中的にケアしたり、やっぱり身体はおつきあいだよね。きちんとケアすれば上手に快適につきあっていける。
身体の柔らかい猫で、ヨガをさせようとすると自ら脚をぐいーんと伸ばしたり、気持ちよさをわかっているようだった。逆立ちもさせた。
窓の外の段差に蓮のために足台、踏み台を置いていた。そこを経由すると段差が少なくて楽なのかもしれないなと。ほかにももっと大きな段差があるけれど、なんというかでもここに置いてあげたかった。
これは齢をとってからの話で、若いときは動きが敏捷だった。「数日前は蓮ちゃんのことで思い出せるのは最近のことばかりだなあ」とおもっていたけど、昨日あたりから昔のことも思い出す。
今まで記憶のはるか遠くにあった、忘れたとおもっていたような昔のこと。思い出と蓮ちゃんの身体とのつながりが弱くなっているのだろうね。
似た理由で、太陽君のことはもちろん、2016年9月に亡くなった由芽ちゃんのこともよく思い出す。今までは目の前の身体ある存在が強かったけれど、みんな体から魂が抜け出てしまったから、同じ思い出す空間に存在しているということなのかもしれない。
亡くなってから、頻繁に3匹の名前を言い間違える。由芽はもう数年前に死んで、あたしの中で圧倒的な死者だったのに、自然と由芽の名前が口をつくこともある。
言い間違えは、太陽や蓮が体調を崩したころから、たまに出るようになった。体調が悪い状態に直面すると、当時の記憶がよみがえるのかなとおもっていたけれど、それだけはないのかもしれません。
今日も昨日も一昨日も、目が覚めたとき、「ああ蓮ちゃんがいないんだなあ」とおもいました。あのもふもふ感、たまに爪のちくちく感、そしてゴロゴロを聞きながらまどろみたい。
太陽君がなくなったときは、目が覚めると自然と太陽君の遺体が入った段ボールが載った机のほうに目が行きました。お骨になってからもつい骨をみていました。
遺体としてあったときは、しょっちゅう箱を開けて話しかけながらなでていました。
蓮ちゃんの場合はそれはないです。遺体にはもう魂は残っていないと思っている。太陽君のときもそうおもうにはおもっていたのだけど、それでも誤解を恐れないで書けば依り代になってくれる気がしていたというか、触ったり意識を向けたりした瞬間だけ戻ってきてくれると心のどこかでおもいたがっていた、とのだとおもう。
ひょっとしたら、あたしには蓮ちゃんのために棺桶を作る機会が与えられているとおもうからかもしれない。太陽君のときも作ったけれど、それは発作的に作ったわけで作るまでは作ろうとおもっていなかった。
でも蓮ちゃんについてはもう作ることは決まっていて、それはあたしにとっては愛を表現する手段なのだ。
といはいっても、もちろん火葬は淋しいよ。淋しいけれど仕方がない。あーあと蓮ちゃんの場合は、棺桶をつくるまでは遺体が家にあると確信できるというのも大きいのかもしれない。
蓮ちゃん、今まで一緒にいてくれたことをとても感謝しています。蓮ちゃん、ありがとう。大好きだよ。これからも別の形でまた一緒だとおもっています。
また書く。
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