猫太陽と猫蓮がいなくて淋しい。
この画像は2019年2月11日。昨年のもので、仲の悪い2匹がくっついている稀な写真。2匹ともふっくらさん。左の蓮(当時18歳)は今年よりかなりふっくらとした印象。急に発症した印象が強いけれど1年前に比べるとやせていたんだなとおもう。
死を悼む、過去に思いを馳せるのは体力を使う。健康じゃないとできないですね。心身ともに健康じゃないと。2匹続くと思い知らされます。
でもってその話を書く気力するないのだー。本当に、蓮ちゃん、太陽君、どうもありがとう。
※後日書きました。
⇒ 思い出を愛するためにも、心身の健康と体力的な底力を求む~
迷ったときに、どちらを選ぶかという話を書く。
よく「どちらにしようか迷っています」「どちらがいいかわからない」と訊かれる。
正直なところ、そういうときはどちらを選んでもあまり変わらない。
なぜならばその人に見合った流れしかやってこない気がしている。
その範囲内での選択なのだ。
それに、自分からみてすばらしかったり、望ましかったりするすような選択肢がやってきたら、迷わない。すぐに決めるとおもう。
片方がわくわくするほうで、もう片方がわくわくしなかったら、わくわくするほうを選ぶ。
YesでもNoでもすぐに決まること。
もっとも詐欺だったり、失敗だったりはある。だからその意味では「迷う」は大切。親しい方に相談するのも大切ではある。
だけどそれ以外の、「本当にどっちかな?」「どっちもいまいちだなあ」というときはどちらを選んでも、大差ない。どちらもすばらしい経験をさせていただけるでしょう。
あたしの場合、そういう状況に陥ったときにどうするか?
チャンスなのよ。「何で迷うのか?」という自分の心のほうをみつめる。たいていの場合、自分のちょっとしたこだわりだったり、体裁だったり、前提だったり、嫌な思いをした記憶だったりする。
だからまずは自身のエネルギーを整え、呼吸を穏やかにする。
そして見つめる。ほんの数時間のこともあれば、何晩か寝かせることもある。
思い当たることがあったときは、どちらを選ぶにせよ、それを見つめ直すチャンスととらえる。選択そのものが、一歩が自身の癒しになりますようにと願う。
あたしたちは思い込みでできているのだ。もうあたしはしょっちゅうこの穴にはまって、時間を使います。これには大きなこと選択か、小さな選択かの違いはあまりない。比べるものじゃないし、自分がどう感じるか、心をどう占めるかなのだ。
まあ小さな選択で、この癒しを体現できたらよいマイルドではあるよね。
そして実際の選択としては先に来ていたほう、対相手だったから相手にとって無理がないほう、あるいは箱から出ようとしてくれているほうを選ぶことが多い(自分基準)。
箱から出ようとしてくれているとは、自分の信念や殻から出ようとしてくれているという意味です。
以前、読書交換会で譲っていただいた本ですでに手元にないのだけど、「自分の小さな『箱』から出る方法」、心に響いた本で、いまでもときおり思い出します。
あたし自身も、なるべく箱から出るように心がけている。
手元にないのだけど、「箱」から出るという話はまた今度書きます。
佳い宵をお過ごしください。
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。
◆エネルギーサロン・タンタン
~身体の健康と無意識のパワーへ Have a Beautiful Day~