
素朴に褒め称えていい映画作品なのか?選手達は政治性を携えないと臨めないのでは?と疑問が湧いた。そもそもオリンピックであれ世界選手権であれ、国別対抗という図式は国家とスポーツが固く結びつくのは当たり前で、ここで即思考を停止させて居丈高にイラン政府っておかしいぞ?って議論だけではそのままイスラエル、ひいては米国賞賛に転換されてしまう。元々イランをこんな不寛容な国にしてしまったのは欧米列強なのである。
最近のイラン映画は何か変。アッバス・キアロスタミが良作を次々に産み出していた頃に戻ってほしい。イラン映画がこんな露骨に政治性を押し付けた作品群の姿ではあってはならない。主人公のモデルも男性から女性に変えてしまったのもやはり映画以外のことを絶えず考えながら作っていたんだなと胡散臭い目論見が透けてしまっていて…