Carry me back to Old Virginny

1974~1975年にわたるアメリカ・バージニア州R-MWCへの留学記(手紙)です。

全米旅行の幕開け(New Yorkにて)

1975-06-04 | 全米旅行(NY)

お元気ですか?
今はNew YorkのM姉さんのアパートにいます。6月1日のお昼過ぎにJenniferのところからMetrolinerに乗って2時間でNYに着きました。

バカにしていることに、こちらでAmtrakに聞いたら、外人学生用の汽車の25%引きは本当にあると言うのよ。Roanokeで聞いた時は絶対にない!というから、高いお金を払ってバスでDelawareに行ったのに・・・とはいえ、ここでは8ドルが5ドル半くらいと、たいした節約にもならなかったけれど、まぁ割引料金で来ました。

Jennifer一家がお見送りしてくれましたが、Jenniferがもうポロポロ泣いてしまい(格好つかないことに、私は涙が出なくて困った)、絶対2年後に会おうと言ってくれました。2年後とは、Jenniferの卒業祝いで一家で日本に来る、というの。冗談ではなく本当です。彼女の家族は、仕事の関係もあって、アジア以外は世界中ほとんど旅行しているのですから(ロシアも!)。私は、これからの旅行に緊張して、あまり別れの感傷も湧きませんでしたが、みんな本当にいい人たちだなぁと思いました。

汽車の中では、切符きりに来た太った車掌さんが、私の切符を見て「これはMetrolinerではなく、一般列車用の料金だから、Philadelphiaで乗り換えなきゃダメだよ―」なんて脅かすので、「外人学生fareだ」と説明したら、へぇ~とか言って、納得しました。AMTRUCKはどうも労働者間での情報不足のようです。でもホッとしました。その人は、人が良くて、後でまた回ってきた時、私に英語が良くできるね、と話しかけてくれました。きっと14,5歳の子供に思ったのでしょう。大学にいったの、というとびっくりしていました。

終点のNY Cityで降りると、地下鉄駅で広くもないし、みんな軽い荷物でさっさと階段を上って行ってしまうし、私はプラットホームまでまきえ姉さんが来てくれるのかと思っていたのに、見通しは利かないし、困ってしまいました。例の3つの荷物で身動きできないの。

やっぱりホームを上がらなくちゃ、と思ってもがいていたら、私の肩くらいまでしかない小さな痩せっぽちの10歳くらいの男の子が"May I help you?"と話しかけて来たのよ。
可愛いので断るのも・・・と思い、じゃぁこれ持って、とショルダーバッグなど渡してあげたら、大きい赤いのと白いのをむんずとつかんで、タッタッタと階段を上がり始めるのにはびっくり。Mr.Stilesでさえ、赤いの1つ運ぶ時はフーフーいっていらしたのに・・・
私は仰天しながら後を追っかけて感激しながらThank you, thank you! あとでチップをあげればよかったなーと後悔しました。もしかしたら、それを狙っていた子供だったのかもね。でもTシャツにジーンズの小さな子どもだったので、良くわからなかったので、チップをあげなかったのですが・・・

待合室に行くと、M姉さんはホームの反対側におりていたらしく、お互いに10分位探し回ってからようやく会うことができました。M姉さんのボーイフレンドのArthurも来てくれたので、3人でタクシーでここ2nd Avenueの隅の34th Street Eastにあるアパートへやってきました。M姉さんいわく、以前のHotel Arlingtonに比べると、住人間のつながりに欠けるのですって。部屋は2部屋でさっぱりしていました。

一休みしてから、お夕食(M姉さんはお料理上手で、中華料理と日本食の混ざったようなのを出してくれました。今までの甘ったるいアメリカ料理に比べて、美味しかったです)を皆でいただきながらおしゃべりをしてから、3人で夕方街を散歩に行きました。

34th streetをずっと歩いて、5th Avenueまで行き、そこからバスに乗ってGreenwich Villageまで行きました。Washington Squareでは、さすがに日曜だけあって人がうようよいるの。W.Sqのパリの凱旋門にも似たアーチの下では音響効果がいいせいで、いろんなmusicianが街頭演奏しているそうです。この日も黒人がドラムをたたいていました。

それにしても、何から何までLynchburgとは大違い!!車の多いこと、せわしいこと・・・
Greenwich VillageのShopping centerを歩いていたら、病的な女の人が寄ってきてわけのわからないことを呟いたり・・・街中でテンカンらしい女の人がぶっ倒れてワーーっと人垣をこしらえたり・・・バスに乗ると、向かいのひとはうつろな目をして小声で唄を歌っていたり・・・私はふとRobert Lowellの詩の一節(さすが!!)で「季節は病んでいる」を思い出したりしました。
やはりNYの人たちはストレスが多いのでしょう。精神的に病んでいるようです。女の子たちも細くて、厚化粧、ドレスアップをしています。ジーンズにサンダルをつっかけている血色の好いVirginiaの子たちとは大違いでした。

アパートに帰ってから、また3人でおしゃべりして、Arthurは1時頃Hotel Arlingtonに帰り、私はまたM姉さんとしゃべって、遅くに寝ました。

次の日(6/2)(とてもいい天気!)はM姉さんが2日の休暇をわざわざとってくれていたので、2人で国連の前を通り、バスに乗ってRockfeller Centerで降り、Carnegie Hallの前を通ってColumbus Circleを過ぎた所にあるLincoln Centerに行き、そこで今度の土曜に見に行くSluttgar Balletの切符を行列して買いました。

【NYでの写真】 (クリックで拡大)
オフィス街の前でくつろぐ人々・エンパイアステートビル・セントラルパーク
   

国連ビルとその前の庭(バラ園)
      

カーネギーホールとLincoln Center 

それからウィンドウショッピングをしながら一度帰ってきて、夕方からマンハッタンの西のはずれにあるBattery Parkという所までずーっとくだってから、そこからナントカ(名前忘れた)という島に行く通勤フェリーに乗って、East Riverを横切りました。なんと往復10¢なの!マンハッタンのビルに通勤しに来るビジネスマンたちの通勤フェリーなので、この時間帯は、家路に向かう人たちで満員。

自由の女神を見て、遠くからマンハッタンのビル街を眺めて、のんびり海の(?川の?)風に吹かれているのは、いい気分!周りの人は通勤で毎日見慣れているので、デッキでも本を読みふけったり、眠りこけたり、つまんなそ~な顔をしているのに、私一人は写真パチパチとって、キャーキャー言っていました。

往復の帰り(マンハッタン行き)は、みんな(500人くらい)は降りちゃったので、私とM姉さんと後数人の観光客のみでした。

フェリーを降りて、またバスでchinatownにいって買い物をして帰ってきました。夜はマカロニサラダなど食べていると、またArthurがやってきたのでおしゃべり。Arthurは、コロンビア大学をこの6月いっぱいで卒業するそうです。アメリカ文学専攻だそうです。この前来た時は、あまりしゃべれなかったけど、今回はおしゃべりがはずんで、とても面白い人です。ふざけてばかりいるの。私がまたしくじって、How tall are you?と聞くところを"How far are you?"なんて口を滑らしたら、「それは"how far is your head from the ground?”という意味か?」などと聞き返してきたので大笑いしました。

昨日(6/3)はお昼過ぎからM姉さんとArthurのColumbia Universityに行きました。感じたことは、とにかく狭い!小さい!ということ。建物は大きいのだけど、キャンパスの狭いこと!Virginiaと比べるからですが・・・早稲田大学みたいな感じです。こういう大学は、いくらレベルが高くても、あまり魅力は感じないな~。UVAの美しさに比べたら・・・。

日本人学生も山のようにいるそうです。East Asian Libraryというのに入ったら、東京都23区電話帳をはじめ、ありとあらゆる日本の本がありました。朝日新聞もありました。5月10日頃の新聞を見たら、エリザベス女王歓迎の記事がデカデカと。
日本人学生がhomesickという表情で読みふけって今いた。

帰りはArthurと別れ、M姉さんとバスで帰ろうとしたら、ものすごい土砂降り!公衆電話ボックスの中に避難してバスを待って帰りましたが、滝のようなシャワーに浸かってずぶぬれになりました。バカにしていることに、アパートに着いた途端にカラっとやんじゃった。

この日は、M姉さんの働いているJETROのオフィスの同僚の一人、Koreanの女の子が来週結婚するので、同僚たちがレストランでパーティーをするそうで、私も一緒に連れて行ってくれました。洋服を着替えて、Monks Courtという面白いレストランに行ったら、もう6人くらい来ていました。このレストラン、ウェイターがみんなmonksの衣装をつけているの。でもみんなニコニコしていて、とても感じがいいの。

パーティーのメンバーはKoreanの主役と、ミツコさんという日本人、あとはアメリカ人の女の子たちでした。話しているとみんなとてもいい人たちです。でも、R-Mの学生とはやはり全然雰囲気が違います。話題は豊富だし、とっても愉快なの。

でも、オフィスレディーの話題といえばやはりどこも同じで、ボスの悪愚痴やゴシップですが・・・【註】ここでのボス連はみんな「日本人男性」です!本当に評判悪ーーーい!
NYでは、日本人の男性ビジネスマンが一番人気ないみたい。さんざんけなされていました。ビジネス一本で、人間味が全然ないのですって。想像できます。
アメリカのビジネスマンは、ユーモアはあるし、余裕を持ってニコニコ商売やっているけど、こちらの日本人ビジネスマン(出会うとすぐわかる。黒縁のメガネかけて髪は七三、背広来てるから)は、目がつりあがっていて、ユーモアの欠片もない顔をしています。アメリカ人の女の子たちからみたら、そんなコチコチの上司の下で働くのは嫌でしょうね。。。
これは、偏見ではありません。NYでは本当に人種の偏見なんてありません。ちょっと歩くと、オリエンタル、Jewish、黒人その他各国の人たちで本当に人種のるつぼです。

それはともかく、私はこのメンバーがとても気に入りました。
本当に面白くて良い人たちばかりなのです。ゴシップとか悪愚痴といっても、日本のOLみたいに額寄せて嫌らしく言うのではなく、開けっぴろげで、ユーモアに富んでいて、しかも筋が通っているので、聞いていて本当に楽しかった。そんな話から宗教の話になったり、人種差別の話題になったりしました。

英語がわかるのとわからないのとでは、本当に世界が違うな~とつくづく思います。9か月前はまるでツンボでオシも同然だったのが、今ではオーバーでなく、世界が流れ込んでくるみたいです。M姉さんはかなり英語が出来るけど、そのミツコさんという方は8年間もこちらにいるのに、あまり英語うまくないの。しかもJETROでは日本人同士は日本語でしゃべっているのだそうです。私はバージニアの田舎に行って、日本人が全然いない環境で勉強できて、本当に幸せでした。

レストランでは、向こうの方のテーブルでお誕生日のsurprise partyがあって、ウェイターがろうそくのついたケーキを持って突然現れ、Happy Birthday♪が歌われたら、こっちのテーブルでも是認大声で歌いだし。店中いっぱいに広がり、拍手がわきました。こういうの、本当にいいわね。Surprise Partyといえば、私の隣にいた半分ドイツ人の太ーーーった一番面白い人は、これから自分のために行われるBirthday Surprise partyに出かけなくてはならないそうで、わかっているsurprise partyに行くのは一番いやだ、とわめいていました。それで一足先に帰る時に、Koreanの子(スゴイ美人なの!)に、"Congraturations, Enjoy it(marriageのこと). It's interesting!"なんて言って帰りました。彼女はまだsingleなのよ。

私とM姉さんも一度アパートに戻り、それから夜は涼しくてさっぱりしているので、散歩に行き、アイスクリームをなめながら道を歩きました。

さて、今日(6月4日)はM姉さんも仕事があるのででかけ、私は1人アパートで朝中ずっとラジオをつけながら手紙書き。お昼になってからCentral ParkにあるMetropolitan Museumにでかけました。そろそろNYの地理にも慣れました。34th St.を5th Ave.までのぼって、5th Avenueを82nd St.までのんびり歩いたの。これがかの有名なフィフス・アベニュー…と思っても、結局は車の列と人の波で、東京とまるで同じ。Lynchburgの方が本当にアメリカ~という感じがします。

このあたりを歩いていると、ふとチコタンなどが安物あさってズタ袋さげて歩いているのにでくわしても、対して驚かないのじゃないかしら(笑)。日本人が日本語で大声でしゃべりながらすれ違っても不思議には感じません。CAにいったら、もっとウヨウヨいるそうです。

82nd St.のmuseumにつきました。とっても大きいの。50¢払って中に入ったのだけど、最初のうちは一つ一つ名前も見ていたのに、もう最後はいやになってザーーーっと眺めるだけにしました。2階のEuropean Paintingsがやはり一番おもしろかったです。有名な画家の作品がたくさんありました。

Dogasを眺めていたら、突然「R-Mの学生ですか?」と声を掛けられて(私はR-MのロゴTを来ていたの)びっくり!
かっこいい男の子2人が立っていて、自分たちはW&Lの学生だというの。双方で「懐かしい~」と叫びました(地方出身者が東京で会うとこんな感じなのでしょうか?)。日本人に会うよりバージニアの人間に会う方が懐かしい気がしました。
赤毛の子は2年生で、New Jersyが実家だそうで、もう1人のダークヘアの子は卒業して仕事でNYに来ているのだそうですが、ドガの踊り子の絵の前でしばらくおしゃべりしました。やはりNYの人とは違って、暖かい感じがいいなぁと思いました。

彼らと別れてから、私は20th Century Paintersのセクションに行きました。ここで私の文学的才能を申し上げますと(笑)、入った途端にパッと目に着いたのが真ん中辺にある絵で、「No.5」という字が3つくらい大きく印象的に描かれているものでした。なぜ目についたかというと、アメリカ詩の時間にWillam Carlos Williams(たぶん)という人のImagist Poemsで、"Figure 5"というのを読んだことがあって、ふっとそれを思い出したからです。近寄ってみたら、その絵の題が"I saw the five in gold"だったの!これはまさに、この詩の1行目なのでした。画家はDemuth(?)とかいうような人だったけど、この詩からイメージを得たのは確かでしょう・・・それとも逆かしら?
それでこの絵がとても親しみ深く感じました。
【後記:その絵は→こちら)】

話題を呼んでいるのは、イギリスのFrancis Baconという人の肖像画で、この人専用のセクションが出来ていました。顔の潰れた人の絵ばかりで、観ているとこちらの顔までひん曲がってきそう・・・あまり好きにはなれませんでしたが。でも、絵の観賞をこんなに楽しんだのは初めてです。おじちゃんが悔しがりそうですね。

とても全部は見切れないので、またいつか来ようと思います。

3時半頃出て、今度はすぐ前からバスに乗り、34th St.まで戻ってきたら、アパートの方向と反対側のBroadway, 7th Avenueの方へ歩いて(サンダルを買うために)ウィンドーショッピングをしました。

アパートに帰って来たのは5時頃。おなかペコペコで、トーストとコーヒーをお腹に入れて、今午後6時。さっきM姉さんのオフィスに電話したらもうすぐ帰ると言っていました。

あーーーーくたびれた。それでは、またね

PS:お手紙受け取りました。旅行のことはくれぐれも心配しないでください。チャーターフライトが8月20日しかないのです。7月14日というのは、会社が怪しげなので、Dr.Anthonyが辞めた方がいいというの。