更新に2週間かかりました
今回の仙台遠征の大きな目的。実際に被災地がどのようになっているかを自分の目で見てくる事、それを見てどう感じるか、そしてにこれからの支援をどうやって行くかを決める事です。
仙台に向かう途中、安達太良SAで休憩している時に地震速報があったりして、まだまだ余震が続いているという印象。
東北道も問題なく走れますが所々修復したような跡がありました。
今回はセカンドハーベストジャパンの基地が石巻にあるとの事でしたが、事前の下調べがしっかり出来てなかったので場所が分らず。とりあえず石巻駅に向かう事にしました。
石巻まではバイパスが通っていたのでそこを通って行きましたが、ここも所々修復したような跡が数か所。
インターを降りて駅に向かいますが、もう1年もたっているので街や道はきれいに整備されていてファストフード店も普通に営業している様子。
ただ駅に近づいて行くと所々更地になっているところもありました。もともとそこが更地だったのか?震災で家が壊れたのかはわかりませんが、所々家の壁を見てみると浸水のあとがあったり、コンクリートがはがれている所を見る事が出来ました。
ガソリンスタンドの人に聞いてみたところ膝の所くらいまで水が来たとの事。
この日は時間が無かったので、少し見て回っただけで仙台に戻りましたが、仙台の街は週末と言う事もありまた今回のマラソンが前日エントリーだった為か、復興のために来ている人たちの為か?夜の街はもの凄い人が出ていました。浜松とは比べようもないくらいの人。タクシーの運ちゃんに聞いたところ、仙台は実際3月11日の地震よりも4月9日の直下型の地震の方が被害が大きかったとのことです。
前日、石巻からの帰りにバイパスから海の方を見た時に海沿いの防風林がある所から全くなくなっているようなところがあったので翌日、マラソンを終了後もう一度仙台の港の近くを見に行きました。
仙台港から少し北に向かった所に多賀城市というところがありそこの近くの七ヶ浜というところに行った時に景色が一変しました。
ほんの数十メートル進んだだけで全く家のあとかたもない更地。
今回の地震がまさに津波の影響の凄まじさを感じたのと、家の門だけを残して全く更地になっている人たちはどうなったんだろう?避難できたのか?と考えました。
そしてまだまだ仮設住宅で不便な生活をしている人がたくさんいるんだろうと改めて感じました。
前日、うーちゃんとらんらんと話をした中で、まだまだ走るたびに寄付を続けていこうと言う事になりました。もうすでにSSKさんは走るたびに寄付を続けていてそれに続こうと言う事です。
そして、まだ私の膝の具合が悪く長く走れる状態ではないので企画できませんが、出来ればまた継続的に支援出来るような仕組みを続けていこうと思います。
帰りの高速で、震災の復興支援に来ていたNPO団体が東京に戻って行くのを見かけました。
遠くにいると分かりませんがまだまだ復興は始まったばかりだと改めて感じました。
前回からの続きです
予定通りセカンドハーベストジャパンを9時半に出発し一路仙台に向かいます
セカンドハーベストを出てすぐに浅草の雷門前を通過すると目の前にスカイツリーがどーん
首都高から東北自動車道に入ると宇都宮まで3車線、そこから2車線になりますが車が少なくいつも通りハイペースでうーちゃん号は進みます
周りの風景は新緑がきれいで、昔スキーで蔵王に行った時には冬だったので何もなかった印象があるのとは大違い。
12時前くらいに白河を通過。ここはエアロビ仲間でビールクイーンのMAIちゃんの故郷。高速からイオンが見えたので「イオンがあった!!」とメールを打ったら「イオンくらいあります」と怒られました
仙台に着いたのは2時過ぎで予定通り。
先ずエントリーを済ませ、エキスポをやっている広場に行くと何やら人だかりが・・・
聞いてみると天皇陛下が仙台に来られていてこの前を通るとの事でしたのでせっかくなので待ってみるとホントに来ました
私に向かって手を振っているのが美智子さま陛下は反対側だったので見えませんでした
その後、石巻(石巻については被災地訪問編で書きます)に向かって帰ってきてから恒例の前夜祭
夕方に入ると前夜祭に参加するのが目的で参加したらんらんも仙台に到着
TKDの時は道に迷うくせに酒を飲む時はしっかり迷わずに来れます
前夜祭会場はネットで調べた「瑠璃座」という居酒屋。
宮城の特選コースを予約しておいて牛タンも美味かったけど一番のお勧めは「もうかのホシ刺し」
皿の真ん中の赤い刺身がそれで、サメの心臓との事仙台に行ったら是非
相変わらず翌日レースを走るとは思えないほどの呑みっぷり
風邪をひいて体調が悪いと言いながらもしっかり日本酒を選別するランラン
毎回日本酒の名前を聞くけど全く覚えていません
ホテルに帰って爆睡
いよいよレースです
レース当日は快晴
街並みは大学のキャンパスみたいな感じ
そこに怪しい3人組
すかさず、たなかさんが「こういうところによく小銭が残っているんですよ」と
冗談はこのくらいにして今度こそいよいよレースです
たなかさんはブロックが違うのでうーちゃんとらんらんと私は荷物を預けてスタート地点へ
今回は全く練習を出来ていなかったのでそれだったらカメラを持って走ろうと決めました
走りだしてちょっとすると「サザエさ~んがんばってー」という声援
振り返るとそこにはサザエさん
歩道橋の上にも人だかり
ホントにきれいな街です沿道の声援も途切れることなくありますが、東北の方は恥ずかしがり屋さんが多いのか、あまりハイタッチをする人が少なかったかな
途中、先頭集団が反対側に来たので、止まってベストポジションでシャッター
明らかに走り方が違います
途中オバQにも遭遇
そしていよいよ競技場へ入って行くと、婚約したばかりのQちゃんが私を出迎えてくれました
フィニッシャーのバスタオルをもらって
帰りは酒を飲む時には迷子にならないランランが地下鉄で迷子になりましたが無事合流し昼ご飯の牛タン極(きわみ)定食
1,600円がマラソン大会のクーポンで500円引き
それにしてもデカイ舌です
帰りは被災地に寄ってから、仙台を出たのが4時半
結局家に着いたのが0時を周ってからでした
いやーさすがに疲れた
でも内容満載の仙台ツアーでした
被災地訪問編に続く・・・・
ちなみに写真を撮らせてもらった仮装ランナーさんには許可を取って掲載させて頂いています
ようやくブログをかける状態になりました
先週末の5月12日~13日にかけて仙台国際ハーフマラソンに参加するため仙台に行ってきました
移動距離が片道700km弱で帰って来てからなんだか体がやたら疲れていたのでブログの更新ができませんでした
今回の目的の1つは去年から1年かけて東海道53次を走りながら寄付をしてきたNPO団体のセカンドハーベストジャパンを訪問し、一緒に走ってきた仲間にどういう団体か知ってもらう事と被災地を実際訪問してどういう状態なのかを自分の目で見てくる事そして今後どうやって行くかを感じる事が大きな目的。
もう1つはTEAM47の活動で宮城県の大会を走る事です
今回は2hj+被災地訪問とTEAM47の2本立てで書きたいと思います。
先ずは2hj+被災地訪問編
朝5時にうーちゃん号で磐田を出発し、東京へ向かいます。
毎度のことながら富士山を写真に撮って第一目的地であるNPO団体セカンドハーベストジャパンを目指します。天気は快晴
少し渋滞もありましたが8時45分頃にセカンドハーベストジャパンに予定通り到着。
入って見るともうすでに代表のチャールズさんが炊き出しの準備をされていました。
9時になってアポを入れていた高原さんが到着。
先ずはセカンドハーベストジャパンの施設を見学。
いろいろお話を聞きました。
このセカンドハーベストジャパンはフードバンクというシステムで企業が缶が凹んだり賞味期限間近でまだ食べれるけど売れない商品などを引き取って、施設に届けたり炊き出しをされたりしているNPO団体です。
企業にとっても廃棄するコストが減り、支援を受ける人にも食料が届けられるその橋渡しをされている団体です。
去年の震災以降、石巻に基地を置き仮設住宅に住まれている方々の支援を行っているとの事です。
私達は去年震災以降、何か出来る事は無いかと考え、一時的に寄付するのではなく仕組みを作って支援しようと思い、ジャストギビングというファンドレイジング(インターネットを使った寄付を集めるシステム)を使い1年間かけて震災のあった3月11日の2時46分に京都の三条大橋に着こうと言うのを合言葉に東海道五十三次を走り、走るたび毎に寄付を行ってきました。
お話によると現在日本で廃棄されている食料品は年間約500万トン。そのうちセカンドハーベストジャパンでの扱い量は1600トンだそうです。
そして高原さんの「そういう意味で私達にはまだまだやる事がたくさんあります」という言葉に込められた使命感と力強さを感じました。
今回東海道を一緒に走った5人で訪問したかったのですが、私とうーちゃんとたなかさんとたなかさんの奥さんの4人で訪問し、セカンドハーベストジャパンの事をいろいろ知れたのが良かったです。
帰る前に壁にサインをさせて頂き(来れなかったらんらんとSSKさんの分もサインしておきました)
今回は予備が無かったのでなんとかもう1枚手配して送りたいと思います。
今回は一緒に走ったお二人に自分たちのやってきた事がどういうことだったのかを知って頂くいい機会になりました。
TEAM47編、被災地訪問編に続く・・・・