●歩いた日:2018年1月20日(土)
●歩いた所
・畑屋:十文字、戸館、熊野、高野、街道東
・安城寺:柳原
・金沢東根:柳田、大石
・中野:外城、内城、寺田
●歩いたログ(足跡(道のり7.8km)
(以上の地図:国土地理院)
「十文字」の旧道の十字路を超え、さらに新しい道との十字路を越えたところで振り返る。
📷013:「十文字」の交差点
奥から手前に歩いて来たところである。目の前の交差点が新しい道との十字路で、白っぽい家と茶色の家のすぐ向こう側を旧道が左右に通っている。旧道は、茶色の家のすぐ右手で新しい道に合流しているので、この家と、屋根がのぞいている隣の家は、新しい道ができたことによって周りを道に囲まれてしまった。
手前の十字路を右へ行ったすぐのところで車が待つ。
最後に今回歩いたところの一部の航空写真をご覧いただく。まずはS51年の写真。
下の方に車を止めた近くの「十文字」の十字路が写る。東(右)から来た道が上(北側)の十字路の手前で二つに分かれている。まっすぐ西に延びる道が昔の道、南側の広い道が新しくできたことで十字路が二つになった。
十字路西側は「外館」、「前田」で、ここの新旧の道は「旧千畑町畑屋を往く」で歩いた。
上の方に「荒羽祗神社」の赤い屋根が見え、当時公園として整備されていたかはわからないが、神社のすぐ南に広場がある。本文中に掲げた「安城寺農村公園」の木立が神社から右下に連なる。
右下隅に写る道が「角六線」である。
次にS23年の写真。
この写真を見て最初に目に付くのは、右下の「角六線」の交差点から西と北西に延びるまっすぐな道はすでに整備されているが、これらの道の両側に広がる土地は不整形な形をしており、田んぼには見えないことである。以前のブログに掲げた「旧太田町横沢」のように、「田沢疎水」の用水路が開削されるまでは水不足ため開田できない土地だったのだろうか。S51年では一面に田んぼが広がっている。
左下の十字路を見ると、まさに「十文字」の地名がふさわしく思われる。
本文中で、「荒羽祗神社」から連なる木立を見て、この場所が何か由緒がありそうな感じがする、と書いたが、この写真からはそれらしき痕跡は見当たらない。
もう一枚、S51年の「千畑南小学校」の写真を見ていただく。
校舎とグランドがきれいに写っており、真四角な敷地に沿って桜の木が並んでいるのがわかる。小学校はS25年の3月に閉校になり、その後、現在の平場の森、歴史民俗資料館、屋内スポーツ館などに姿を変えたようだ。
(終わり)
●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:287.4km)
次回からは、我が家からほど近い「旧大曲市花館」を歩いた記事を掲載する予定です。
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