●歩いた日:2018年10月8日(月)
●歩いた所
・角間川:東本町、西本町、艮、東中上町、西中上町、町小中島、北小中島、稲荷中島、小中島、南小中島、西上町、中町頭
・藤 木:八圭
●歩いたログ(足跡)(道のり5.8km)
(以上の地図:国土地理院)
「北小中島」の杉の伐採作業を見終えてまた東に行くと、道は家並を抜けて南北に走る街中の通りに出る。出たところのすぐ左手が三差路になっており、そこから通りを北に望む。
📷008:「中上町」の道2
📷005でこの通りを郵便局前から南に臨んだが、この写真は北に臨んだもの。道奥左手が郵便局のある場所である。道左手の古い屋敷の木立と塀、道右手手前の、ひまわりのような「ヤマザキショップ」の高い看板が、📷005でも左右入れ替わって写っている。
この後、「角間川」の豪家だったと思われる見事な塀のある屋敷を見たいと思い、通りを北に進む。塀がはじまってすぐのところで、改修工事が行われている古い大きな建屋がある。
📷009:「西中上町」の荒川家住宅
左下黄緑の看板に工事内容が表示されている。写真では読み取れないが、「旧荒川家住宅保存整備工事」とあって、「大仙市」が町づくりの一環として工事を進めているようである。木立に囲まれた木造の大きな住宅、白と黒の塀は、かつての「角間川」の繁栄と歴史を感じさせる。
ところで、調べてみると、塀が長く続くこの道は「本通り」と呼ばれ、「角間川」の隆盛を支えた地主、「荒川家」、「北嶋家」、「本郷家」がこの通りに屋敷を連ねているとのこと。さらに北に進んで行くと、塀の奥の広い屋敷に古い建物が何棟も建っているのがのぞかれる。「荒川家」の隣が「北嶋家」、さらにその隣、郵便局のすぐ手前が「本郷家」の屋敷で、入口の脇に大きな看板が立つ。
(「西中上町」の本郷家住宅前)
看板の説明によると、明治・大正期に二百数十町歩を所有する大地主であった「本郷家」の建物(主屋、文庫蔵、洋館など)は、江戸末期から各年代の特徴をよく表しており、貴重な建築物群であることから、H28年に国登録有形文化財に指定されたとある。
なお、「本郷家」は、「旧仙北町高梨」の「池田家」、「辻兵」の名で知られる「秋田市」の「辻家」に次ぐ地主として明治時代の秋田の三大地主と言われていたらしい。また、M 14 年に明治天皇が東北をご巡幸された折、「本郷家」が宿泊所を務めたともある。
看板に建物の平面図が描かれている。右下隅が南北に走る「本通り」に面した入口で、南(下)に突き出ているところが応接間などのある洋館、その北(上)が主屋、さらにその西(左)側に突き出しているところが文庫蔵(内蔵)で、それぞれの写真も掲げられている。
(その6に続く)
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