ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧大曲市四ツ屋を往く-3(その3)

2018年02月05日 | 旧大曲市を往く

●歩いた日:2018114日(日)

●歩いた所

 ・高関上郷(四ツ屋):向田、高屋敷、不動堂、新屋敷、野際、蕨野

 ・四ツ屋 (四ツ屋):下新谷地、諸又、西下瀬、上古道、下古道、上原野、下原野

●歩いたログ(足跡)(道のり5.4km

(以上の地図:国土地理院)

 踏切から旧「角館街道」に出、南に少し進んでカメラを取り出す。

📷005:「諸又」の道

 旧「角館街道」である。「旧大曲市四ツ屋を往くー2」では、この道を奥から立っている位置まで歩いて来たので、その時のログとここでつながることになる。

 写真の家々は「四ツ屋」の「諸又」で、そのすぐ先は「高関上郷」の「諸又」である。

 この時間帯になって、日射によって道の雪がようやく溶け始めている。ここからUターンして旧街道を北に進み始めると、先ほど横断した踏切の信号が鳴る。「秋田新幹線」の「こまち」が来たのかと、カメラを取り出して待っていると、「こまち」ではなくディーゼル車である。少しがっかりしたが、せっかくなのでカメラに収める。

 「こまち」が走る広軌の単線を、二両編成でこの列車も走る。車体のピンクと青の線は「こまち」を意識して描いたのだろう。

 余談であるが、我が家の田んぼはこの鉄道沿いにあるが、鉄道端で作業している時に、このディーゼル車が通過すると、刈った草などが舞い上がるほど強い風を巻き起こすが、車体が流線形の「こまち」が通過しても、ほんの少ししか風を巻き起こさない。流線形の車体とはこんなものかと、と変なところで実感している。

 北に進むとやがて旧街道の踏切がある。踏切脇に看板がある。

 鉄道の踏切にはすべて名前が付けられているようで、小さな踏切にもこうした看板が必ず設置されている。ここは「第一角館街道踏切」で、今の「角館街道」は別の路線になっているが、踏切の名称はそのまま変えないらしい。表示されている距離は「盛岡駅」からの距離のようだ。 

 また余談になるが、岩手県側の「橋場線」と秋田県側の「生保内線」をつないで「田沢湖線」が開通したのはS41年である。「秋田県」にある「田沢湖」にちなんで名称が付けられた。ところで、「岩手県」の「北上」と「秋田県」の横手」をむすぶ「北上線」がある。このローカル線はかつて「横黒線」といった(「横手」の「横」と、「北上」の昔の地名である「黒沢尻」の「黒」をとって付けられてもの)が、「田沢湖線」が誕生したS41年に「北上線」と改称されている。「田沢湖線」では「秋田」の地名をとったので、バランスをとって(県民感情に配慮して?)こちらは「岩手」の地名「北上」に改称したのだろうか。

 踏切からさらに旧街道を進む。

📷006:「西下瀬」の旧「角館街道」

 踏切を越えてすぐの旧「角館街道」である。左手の石の門の奥は「四ツ屋公民館」、軽トラの後方の建物は「四ツ屋保育園」。保育園の奥の木立はこの後立ち寄った「四ツ屋小学校」の校庭にある桜の木である。

 道の奥両側に建物が連なっているが、この辺りは昔から学校前の小さな商店街である。

(その4に続く)


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