ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧大曲市四ツ屋を往く-3(その4)

2018年02月07日 | 旧大曲市を往く

●歩いた日:2018114日(日)

●歩いた所

 ・高関上郷(四ツ屋):向田、高屋敷、不動堂、新屋敷、野際、蕨野

 ・四ツ屋 (四ツ屋):下新谷地、諸又、西下瀬、上古道、下古道、上原野、下原野

●歩いたログ(足跡)(道のり5.4km

(以上の地図:国土地理院)

 さらに進んで行く手にカメラを向ける。

📷007:「西下瀬」の旧「角館街道」2

  昔の商店も今は何軒も店を閉じている。左手前が呉服店、右手奥の四角い建物が文房具店(後酒店)、その向かいが駄菓子屋であった。店は閉じられても、昔の街道のたたずまいはそのまま残っている。

 さらに進んで、小学校の正門から校庭をのぞいてみる。正門脇に見事な桜の老木がある。

 

 私が通った「四ツ屋小学校」へは「旧大曲市四ツ屋・旧仙北町横堀を往く」でも立ち寄り、この桜の木を見ているが、見惚れて写真を撮り忘れてしまったので、今回はカメラに収める。小学生の時にすでにかなりの老木で、それから60年近く経っているので、樹齢はどのくらいになるのだろうか。真ん中の木には支柱が立てられている。老木のすぐ向こう側がかつての正門があったところである。

 また、正門脇には「四ツ屋中学校跡地記念碑」が建つ。

 字が読みにくいが、「桜咲く我等が母校 我等二千百四十二名・・・此所より飛翔せり・・・その歴史拾九年を偲ぶものなり」と刻まれている。

 「四ツ屋中学校」が「大曲中学校」に統合したのは、私たちが3年生の時、S39年なので、終戦直後からS39年までの19年間のようだ。この碑が建てられたのはH6年とあるので、廃校からずいぶん時を経ている。卒業生も歳を重ね昔を懐かしむ気持ちが強くなって建立を思い立ったのだろうか。

 ところで、私たちは「大曲中学校」に統合したが、新しい校舎には通わず、「四ツ屋中学校」から「大曲中学校東校舎」に名を変えたここの校舎を卒業した。3年生の時に野球の試合があった時は、以前からの「大曲中」(南校舎)、「花館中」(北校舎)との間でも試合が行われた。南校舎は以前からの略称「曲中」を使い、北校舎は新たに「大中」を使って「フレーフレー曲中or大中」とやっていたが、我々は試合までに決めていなかったらしく、ほかの校舎の応援を聞いて、「フレーフレー曲東」とやったり、元に戻して「フレーフレー四ツ屋」とやったりして、なんかまとまりがない感じがした。どうでもいいことをいつまでも覚えているものである。

 学校のことについては、「旧大曲市四ツ屋・旧仙北町横堀を往く」でも航空写真を掲げながら触れているので、興味のある方はお読みいただきたい。

(その5に続く)


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