ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧大曲市角間川を往く(その7、終)

2018年11月17日 | 旧大曲市を往く

●歩いた日:2018年10月8日(月)

●歩いた所

・角間川:東本町、西本町、艮、東中上町、西中上町、町小中島、北小中島、稲荷中島、小中島、南小中島、西上町、中町頭

・藤 木:八圭

●歩いたログ(足跡)(道のり5.8km)

(以上の地図:国土地理院)

 

 「諏訪神社」から住宅の中の道を北に進んで、再び「角間川橋」に出る。橋を渡り返してさらに進んで、📷002に写る「八圭」の「菊地商店」の手前の十字路を右(東)に曲がり(ログ地図で黄色線になっているので県道のようだ)、しばらく行く。ここは「旧大曲市」の「藤木」であるが、道の両側には家が建ち並び、「角間川」の街の一部である。

 やがて道は「横手川」にかかる橋にでる。「藤木上橋」とあり、車道と歩道が別々になっている。歩道を中ほどまで進んで下流にカメラを向ける。

📷013:「藤木上橋」から下流を望む

 奥に写る橋は、スタート直後に渡った「藤木下橋」で、さらにその向こうに「西山」が連なる。

 上流の方を望むと、「横手川」に左手からやや小さな川が合流している。ログ地図にある「出川(イデカワ)」である。「出川」は「六郷」の街のほぼ真東に当たる「東山」の麓を源にし、「旧仙南村」、「旧大曲市藤木」を流れ下って「横手川」に合流する川である。

 ちなみに、このブログのタイトルに使用している「仙北平野」は、秋田県南部内陸に広がる「横手盆地」のうち、この「出川」の北側、「雄物川」、「玉川」と「東山」に囲まれた範囲を指す。しかし、ブログには、「旧神岡町」など、厳密には「仙北平野」には入らない地域も登場するので、ご了解いただきたい。

 橋を引き返し、川の左岸に写る堤防の上の道を進んで「藤木下橋」に行き、橋を渡り返して車に戻る。

(追記)

 少し記事の追加があります。「浜倉」の後、(「西本町」の神社と石像)の写真のところで、「日射しに輝く銀杏の木の間に鳥居と社殿がのぞいている」と書きましたが、写真をよく見ると、鳥居右手の木は銀杏の木ですが、左手の木は銀杏とは葉が異なるようです。調べてみると、この木は「さいかち」の古木で、昔、「仙北郡」と「平鹿郡」の郡境を「雄物川」から見るときの目印になっていたとあります。

 また、ここの神社は、「館の稲荷」、あるいは「九郎兵衛稲荷」とも呼ばれているとあります。そう言えば、この近くにある📷004の菓子屋さんは「九郎兵衛堂」でした。

 最後に、いつものように昔の航空写真をご覧いただく。まずはS51年の写真。

 

 「旧横手川」の跡がくっきり残っているのが目に付く。浜倉のあるかつての川港は、「雄物川」から見ると「旧横手川」が入り江のようになっている場所にあったことがわかる。この写真を見ると、当時は、現在残っている2棟の浜倉のすぐ東隣にもう2棟の倉が南北に連なって建っている。浜倉のすぐ左下に「稲荷神社」の大きな木も写る。

 黄色の線で囲んだところが、3軒の旧家が並ぶ地主屋敷群である。多くの木立の中に大小の建物が建ち並んでいる。

 左下の道端に四角い林が写っており、ここが今回訪れた時伐採作業を行っていた場所のようである。

 中央に写る「浄蓮寺」北側の墓地は、周りには多くの木が茂っているが、現在、この木はほとんどなくなっており、道から大きな寺の建物が見渡せた。

 街中の道は現在とほとんど変わりないが、「藤木下橋」から街の西側、「雄物川」沿いを走る県道はまだ通っていない。

 次にS23年の写真。S51年と見比べながらご覧いただきたい。

 

 何といっても、大きく蛇行して流れる「旧横手川」が目立つ。浜倉の下流で、ほとんど「雄物川」の河川敷と思われる中を、北側に大きく流れを変えて「雄物川」と合流している。

 「旧横手川」の東側に、現在の「横手川」の川筋が浮き上がっている。S23年は、付け替えのための改修工事の最中だったようである。しかし、まだ「藤木上橋」、「藤木下橋」は架かっておらず(橙色の線で示した場所)、昔の道がそのまま写っているのが面白い。ところで、S24年の写真もあるので見てみる。

 

 真ん中に雲が写っているは愛敬だが、工事中の川筋がよりはっきりと見え、「藤木下橋」がかかっている。一年で橋が姿を現したことになる。そして、昔は真っすぐだった道が、新しく川ができることによって、橋を渡る迂回道路に代わったことがわかる。

 S23年の写真に戻る。

 「藤木下橋」の位置のすぐ下流(西側)が「雄物川」の主な流路でなっているが、S51年には、そこが本流でなく細い流れとなっている。「横手川」の改修によって「雄物川」の流れも変わったのであろう。

 また、4棟の浜倉が写っている。よく見ると、その西側、「稲荷神社」のすぐ北側に大きな建物のようなものが写る。これも倉なのだろうか。

 黄色線の中は、S51年同様、「地主屋敷群」である。茂っている木々が疎らで小さく、白っぽい空き地?が多いため(なぜ?)と思われるが、建物の配置がよくわかる。

 なお、今回伐採された杉林は、S51年より小さく写っている。S23年以降に植林されて大きな林になったことが伺える。

 「角間川」の昔を知る人も、昔を知らない若い人も、S51年と戦後すぐの写真をじっくり見比べると何か発見があるかもしれない。航空写真とにらめっこするのは楽しいことである。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:355.0km)

 できるだけ以前のログとつながるように(「払田の柵跡」以外は)してきましたが、今回のログはぽつんと離れてしまいました。「角間川」を歩いてみたいという気持ちの表れともいえます。早めにログをつなげたいと思います。


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