●出かけた日:2018年10月15日(月)
●山の位置
●歩いたログ(足跡)
(以上の地図:国土地理院)
山登りに出かけたのはちょうど一年ぶりです。昨年の10月初旬、酒飲み友達2人と「大白森」に登って以来です(この記事はブログに掲載しました)。
昨年の「大白森」行き直後から股関節が痛み出し、山に登ることはもとより、普通の歩行にも難儀するような状態になりました。医者には、完全に痛みを無くすには手術するしかないが、股関節周りの筋肉を鍛えることで痛みが軽くはなる、といわれました。手術は、怖い?し、最後の手段ということで、それから毎日(のように)、痛み止めの薬を飲みながら体操を続けたところ、3カ月程で体操が効いたのか、薬が効いているのかわかりませんが、痛みはだいぶ軽くなり、以前より速度がだいぶ遅くなりましたが、「仙北平野」歩きは続けることができるようになりました。しかし、山歩きとなると不安もあり、出かけておりませんでした。
この秋になって、あまり急な登りのない「駒ヶ岳」の8合目小屋から、どれくらい登れるのだろうと試しに歩いたところ、1時間程は支障なく登れ、下りもほとんど問題ありませんでした。その後、紅葉を見たい(が、山登りまではしたくない)という妻と連れ立って、同じコースまた無事に登り下りすることができました。
これだったら1時間半程度で「阿弥陀池小屋」までは行けるだろうと、10月15日に出かけた次第です。
今回歩いたコースは、昨年6月に「駒ヶ岳男岳」に登った時に歩いたコースと全く同じ(今回は「男岳」には登りませんでしたが)ですが、山歩きを再開できた記念?にその様子をもう一度ブログに掲載します。
それでは、本文に入ります。
まずは、すでにご存じの方が多いと思うが、冒頭に「秋田駒ヶ岳」の位置を示す地図を掲げたので、ご覧いただきたい。細かくて見づらいので、「盛岡」、「角館」、「岩手山」、「田沢湖」の位置を大きな字で入れてみた。
その位置図やログ地図の上端に黄色の線で描かれている、8合目小屋に至る曲がりくねった(カーブミラーが60基以上設置されている)細い道を車で登り、小屋の裏手にある駐車場に車を止める。
駐車場から小屋を望む。山の中腹を、これから登る登山道が斜めに走る。小屋奥の山肌が露出しているところは硫黄鉱山掘跡。
駐車場から北に目をやると昨年登った「大白森」が望まれる。
右側の斜面の奥に、山の頂上一帯が黄土色になっている。「大白森」の湿原の草紅葉である。
左端の奥に「森吉山」が見える。
以前の山登りではトレッキングポールは1本だったが、足が痛くなってからは、歩くスキーで使っていたポール2本を持って駐車場を出発。2本だと足も腰もだいぶ楽な気がする。
少し登ると硫黄鉱山跡地に至る。
📷001:硫黄鉱山跡
調べると、終戦後まもなく採掘を止めたようだが、それから70年余り経過しても、生々しい採掘跡を残している。また、8合目小屋も鉱山の跡地に建てられたとあるので、S23年と、比較のためS51年の航空写真を見てみる。まずは分りやすいS51年から。
(S51年)
曲がりくねった車道の終点に8合目小屋と駐車場が写る。中央やや左下の白っぽい部分が鉱山跡地。登山道も写っており、📷001の写真を撮った位置を示してみた。なお、ログ地図には、この位置から「阿弥陀池」にまっすぐ通じている道が描かれており、私も数年前にその道に踏み込んでみたが、鉱山跡地内で道が相当荒れていて先に進むことができず、引き返したことがある。
(S23年)
S23年の写真はかなり拡大したのでぼやけているが、広く鉱山跡地が写り、その右上にも白っぽい部分があって、ここが現在の小屋と駐車場がある場所のようだ。
両年の写真を比較すると、白っぽい部分は少しだけ縮小しているようだが、同じ模様(形)(黄色で囲んだところ)を見つけることもできる。採掘を止めてすでに70年以上経っていることを考えあわせると、手を加えない状態で緑に覆われるようになるには、この先何百年もかかりそうと思ってしまう。
(その2に続く)
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