<「一ツ森」の「史跡の里」施設>
●歩いた日:2024年7月21日(日)
●歩いた所
・堀見内:下東中屋布、東中屋布、赤沼、南赤沼、一ツ森、福嶋、堀堰、堀合
・板見内:一ツ森、弥兵衛谷地
●歩いたログ(足跡)(道のり6.7km)
(以上の地図:国土地理院地図に加筆)
(📸008から)さらに少し進み、家並が切れたところで南東を望む。
(「払田」の「真山」、「長森」を望む)
木立の生い茂る丘は、ログ地図の右下に記されている「真山」(右手)と「長森」(左手)である。全体が柵で囲まれていたようなので、かなり大きい城柵である。政庁跡は「長森」の真ん中付近である。
設置された9世紀頃、この辺はどんな景色だったのか、思わず想像してしまう。
同じ場所から行く手を望む。
(「一ツ森」の一角2)
中央が「一ツ森」の小丘。右端に見える平屋の建物は高齢者福祉施設。左手の特徴的な大きな建物は、旧「仙北町」が設置した歴史民俗資料館。
写る場所は「一ツ森」であるが、調べると、道右側の「一ツ森」は「堀見内」、左側の「一ツ森」は、「板見内」である。「堀見内村」、「板見内村」であった昔(明治の立村・合併(M22年)前)は混乱しなかっただろうか。
写真の道奥、小丘の麓まで進む。そこに木造平屋の風情のある建物が建つ。そのすぐ手前で左折し、正面入口の方に進む。
(「一ツ森」の「餅の館」)
入口の前に立って見上げると、「餅の館」と書かれた看板がかかる。
「地名へのいざない」の「一ツ森」の項には、日本各地の餅や餅に関する農村行事、餅文化を紹介する施設とある。今は閉館しているようだ。
「餅の館」を過ぎて、右手の丘の斜面の方に目をやると、また「菅江真澄の道」の標柱が見える。
近づいて見ると「万太の奇談」とあり、その側面に「一ツ森の万太ら若者三人が、大殿沢に分け入ってミズを採るに・・」までの記述があるが、どんな奇談なのか、その内容は書かれていない。これも調べるてみると、どうも天狗に襲われた話のようである。昔はそんな伝説が語り伝えられていたのだろう。
標柱から引き返し、「一ツ森」の小丘の裾を東の方に回り込む。旧「仙北町」は「払田の柵跡」がある町として「史跡の里」を称し、この一角に歴史をテーマにした施設の整備を図っている。それらの様子を伺いながら少し行ったところで振り返る。
📸008:「一ツ森」の「史跡の里」施設
右手奥から来たところ。
右端奥の建物が「歴史民俗資料館」、その左の茅葺が「まがり家 みずほの家」で、中には昔使われていた様々な農具、生活用品などが保存、展示されている。
左端の黄色い屋根は、「史跡の里交流プラザ 柵の湯」である。温泉施設で宿泊もできるようだ。
⑤に続く)
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