<「掵田」の「神明社」>
●歩いた日:2020年9月16日(水)
●歩いた所
・四ツ屋(四ツ屋):西下瀬、櫤ノ木、下前村、上前村、前田、谷地、掵田、上古道、下古道
●歩いたログ(足跡)(道のり6.6km)
(以上の地図:国土地理院)
(「四ツ倉神社」から)引き返してまた北に向かう。
📷006:「掵田」・「下前村」の一角2
古い街道の風情を残した道が延びる。
道左手の手前の電柱とその脇の家の間に鳥居が見える。そこまで行ってカメラを向ける。
(「掵田」の「神明社」入口)
鳥居の脇に石柱が立ち「神明社」とある。
鳥居をくぐって、民家脇の参道を進む。
(「掵田」の「神明社」)
広い境内にりっぱな社殿が建つ。左端にのぞく社務所を併せ持つ大きな神社だ。すぐ裏を通る「国道105号」から社殿の一部をいつも見かけていたが、立ち寄るのは初めてである。
境内の一角に石碑が建つ。
(「神明社」の石碑)
石碑には「四ツ屋鎮守 神明社独立復帰記念碑」の文字が刻まれている。「独立復帰」とはどういうことだろう。
裏に沿革が書かれている。それによると、神明社は、かなり古い創建であるが、T4年に「村社 八幡神社」(すぐ西の「新屋敷」にある)に合祀(社殿等はそのまま残った)され、その境内社となった。しかし、S30年に遷座し、大奉祝祭を挙行したとある。合祀された神様を元通りに遷座したことが「独立復帰」の内容のようだ。
社殿の横に真新しい標柱が立つ。
(「四ツ屋小学校」跡地の標柱)
標柱には「四ツ屋小学校跡地」と書かれている。
説明には、M7年にここに「四ツ屋小学校」(当時は「四ツ屋学校」と称した)が建てられ、T11年に「高関小学校」が合併して現在の場所(「上古道」と書かれているが「下古道」の間違い?)に移るまでの40年以上にわたってここに学校があったとある。
学校が置かれたということは、「掵田」のこの場所が元々の「四ツ屋」(旧「四ツ屋村」は明治の立村・合併でそれ以前の「四ツ屋村」、「高関上郷村」、「新谷地村」、「松倉村」の区域をもって発足した)の真ん中辺に当たっていたのであろう。
(その4に続く)
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