●歩いた日:2017年8月11日(金)
●歩いた所:鎗田(大字)、二ツ石、屋敷田、庚塚(カノエヅカ)、稲荷、琴平西、宝門清水、鶴巻(以上「六郷」)、羽貫谷地(大字)、築立、出川添(以上「旧千畑町畑屋」
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり:8.1km)
(以上の地図:国土地理院)
前回のブログで前文に書きましたが、やや暑さが薄らいだ8月11日に久しぶりに「仙北平野」を歩いてきましたので、その記事を掲載します。
歩いたところは、主に「旧六郷町」の「鎗田(ヤリタ)」地域です。この「鎗田」というところは、元は「旧千畑町畑屋」に属していましたが、昭和31年に「畑屋村」から「六郷町」に編入されたところで、正確には「旧六郷町六郷」ではありません。しかし、当然のことながら、「旧六郷町」を形成していた「野中」、「六郷東根」ではありませんので、タイトルは便宜的に「旧六郷町六郷を往く」にしました。
なお、この日はうっかり地図を持たずに出かけてしまいましたので、当てずっぽうに歩いた感じになってしまいました。
それでは本文に入ります。
国道13号線・大曲バイパスの「イオン大曲店」のそば、「和合」交差点から東に向かって「畑屋」方面に延びる道がある。この道は、以前に「旧千畑町畑屋」の「羽貫谷地」まで歩いたが、今回はその時のことを思い出しながらしばらく車を走らせる。やがて道は、「羽貫谷地のはずれ、「築立」の家々を迂回するようにカーブしており、家並みを通り抜けたところで道脇に車を止める。ここからスタートすることで、その時のログ(足跡)と間を空けることなく伸ばすことができる。
カーブした後はまた真っすぐな道である。少し進んで往く手にカメラを向ける。
📷001:「東山」方面を望む
この日は、弱い東風(「ダシ風」)が吹いていた。写真中央は「真昼岳」であるが、頂上付近には雲がかかっている。風は山越えする時に上昇気流になって雲をつくり、その後下降することでこんな様子になる。6~7月にこのように「東山」に雲がかかる現象が何度も見られるときは、特に太平洋側では冷害の恐れがある。
「仙北平野」は、「東山」が冷たい風を防いでくれるので、冷害の危険はほとんどなく、「ダシ風」はむしろ豊作になる印として民謡に歌い込まれているくらいである。
道左の田んぼは一面の大豆で、トラクターで土寄せの作業を行っている。道奥はこれから向かう「鎗田」の一角である。
「鎗田」の家々が集まるところに入ると、道の角々に「清水」の案内板が立っている。そういえば「旧六郷町」は清水の名所である。清水を見ようと案内板に従って十字路を南に折れる。大きな神社がある。
📷002:「鎗田」の「八坂神社」
鳥居、石柱に「八坂神社」とある。左の建物は「下鎗田会館」の看板がかかる。神社の周りはかつては木立が茂っていたと思われるが、今は会館脇の老木が残るだけである。
鳥居脇に白い標柱が立ち、「八坂神社永和対碑」と書かれている。後ろにその説明板ある。
これを読むと、「対碑」とは「一対の碑」と判るが、「この板碑は・・」以下の説明文が判らない。「この」とあるので近くを見回してみたがそれらしいものはない。「永和4年(1378年)に造立」とあるので、平安時代のかなり古いものであることは判るが、ここの地名「二ツ石」は、この対の碑に由来するとある。
「板碑」は板の碑と思ったが、「大日如来を刻す」、「二ツ石」などから考えると、板状の石碑のことであろうか。
(その2に続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます